初夏の山形、蔵王へ

 

毎年、日盲連全国大会が5月の中旬に開催される。私の住む富山県では、この大会に参加をするのを機会に、開催地周辺の観光をするツアーが組まれる。今年の開催地が山形県と言うことで、この地を、訪れたことの無い私は、期待を込めて、参加申し込みをした。この時期は天候が穏やかであるべきなのだがどうもそうとばかりはいえないのである。今回も発達した低気圧が、私達の後を追うように追いかけてくる。風の強い日の出発だった。県内各地を回って、参加者を集め、バスは新潟県に入った。窓外は相当強い風が吹いているとのことだった。越後平野を、ひたすら走る間には、小雨の落ちることもあったが、先ず大きな崩れは無いままに福島県に入り、山道となった。藤と桐の木の花が両側に美しく咲いているとの説明を受け、ひたすら走る。磐梯道、会津若松、など聞きなれた地名もあるが、どうも地名と言うのは、読み方が難しく、私のような身には、困るのである。

ようやくその日の昼食を摂る喜多方に入った。ここは土蔵が多い街とのことで、喜多方ラーメンを食べる場所も、階段を上がった食堂である。多数が一時に摂るラーメンを作るのは、少し無理があるのではと思えるラーメンの出来だった。麺は太め、筍の入ったご飯、それに副食は保存食を利用したものだったように思う。

食後は上杉神社を参拝し、夕鶴の里資料館に到着。館内で、スクリーンに映し出される劇画を鑑賞しながら声優の演じるセリフを聞き、物語は、進行していくのだが、クライマックスあたりで中断。時間が無いからと次の語り部の民話を話す部屋に移動して、民話を三題聞かせてもらった。どうやら、各地から、集まってくる団体客を、受け入れるために、早く押し出されたのではと言うのが私の感じだった。この日は上山温泉泊まりということで、午後5時頃に宿に到着した。

次の日は、この旅のメインである山形県民会館で開かれる大会に、参加。会議を終えて、バス移動となる。車内で可愛いこけしを模した陶器の器に入ったお弁当を食べ、天童にある将棋の駒を作る工場で、駒のお話など聞いて、お買い物タイムである。ここで普段余りお土産など買わない主義の私も、美味しかった手毬こんにゃくと牛たんを買ってしまった。何しろ出た食事は残さず食べる主義の私。帰宅後は、絶対ダイエットに励まなければなるまいとの思いで、こんにゃくに心は走ったと言うのが本音である。

そこからバスは蔵王に向かい、頂上の標高1600メートルの地点で、噴火口跡のおかまと呼ばれる場所を見学に行った。しかし、非常に冷たい強風が吹き、昨年訪れた韓国の水原城址で感じたような冷たい強風に、身を縮めたのだった。今夜の宿の蔵王温泉は標高が980メートル位。その場所に、移動するには両側が雪の壁である。立山の「雪の壁」ほどでは無いが、3メートル位ある雪の壁の道を下りながら、蔵王温泉に到着した。

ホテルの前からシャトルバスで露天の岩風呂へ行くことにも、挑戦して蔵王を楽しんだのだ。やはりここは、樹氷の見られる季節に訪れてみたい。

 

旅の最終日、サクランボ栽培の場所に立ち寄った。時期的には、一月は早いのだろうが、温室と言うには広すぎるような場所で、サクランボに接した。百聞は一見にしかずというが、私の想像をしていたようなサクランボの木では無いし、実の付き方も全く想像外だった。

枝もたわわに言える状態で、サクランボは私たちを迎えてくれた。大きな木と思えるのだが、手の届く範囲に、実が一杯ぶら下がっている。遠慮しながら粒をとって口に含むと、まことに美味しい!!長時間では無かったが、しばしの間、興奮の時を持って、ハウスの外に出た。試食用にと15粒くらい入った容器を頂戴することが出来た。コレは今回の旅のハイライトだったように思う。

サクランボとさよならをして、バスは最上川舟下りへ。川幅150メートルと言われるこの川の舟下りは、女性ガイドの巧みな話術に引き込まれた。そして、時には彼女の喉を聞かせて貰った。途中の川端では、鮎の串焼きを求めて、賞味して川遊びを楽しんだ。

昼食を終えて、月山のビジターセンターを、回り、羽黒山神社を参詣して、あらかたのスケジュールを終えた。

バスは、ひたすら、家路へといそいだのだった。今回のバスツアーは、遠距離だったので、同行をお願いした高齢の友は、非常に疲れたとの感想を述べた。狭いバス車内での長時間ドライブは、彼女にはきつかったように思う。しかし、それでも楽しい旅だったと言ってくれたのは有難かった。

秋には川原で芋煮会が持たれる。この地方の名物芋煮鍋を旬は外れていたが、食事の度に、味わい、柔らかなこの地方の牛肉も賞味し2キロばかりの体重増加を、土産として旅を終えたのだった。

2007年5月

 

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