老人性うつ病?

誰にも気持ちの浮き沈みはあると思う。ここしばらく私は老人性うつ病とでも言うような気持ちの落ち込みになった。いろいろと原因は自分で分かっている。先ず、健康問題が1番のことだろう。今まで友が「年とって、あそこが痛い、ここが都合悪い」とこぼすのを聞いても、私は「ヘー、別に痛くも何とも無いけどな」と心の中で思っていた。

それが65才を境に、お腹を壊してもなかなか治らない。疲れやすい。等と自覚現象が出てきたところへ、メディアは盛んに65才以上の高齢者と言う言葉を連発する。

「エエ?私って高齢者?なの?」と自分に問い掛けてみる。

自覚は無くても、世間の目はまさしくそうなのだろう。こうなると面白くない。何をしても楽しめないのだ。

下手の横好きで楽しんできたフォークダンスも参加をしていても何かむなしい思いがする。勿論、始めた頃は夢中でステップを覚えることが嬉しく、楽しく熱中したものだった。まさに下手の横好きであった。それが、視力の衰えとトモに断念を迫られた時は涙することが多かった。

通常のサークルでは義務が果たせなくなり、義務を免除して欲しいと申し出た私にリーダーは「何もせずに、ただ踊るだけをしに来るのはかえって来にくいのでは?」との言葉をくれた。それを聞いたとき、私はそのリーダーのサークルを去る決心をした。

そして、私が義務を果たさなくても、心優しく、ただできることだけをさせてくれる、少し程度の落ちたサークルに、お邪魔虫を決め込んで10年近くたった。見て覚えることの出来なくなった私は、昔覚えた曲は踊れるが、新曲は無理である。でも心優しい仲間たちに囲まれて、その好意に甘え、運動不足になりがちなわが身をその場に運ぶ。

それが最近、むなしく思えるようになった。身を引く潮時かも知れないと思う。

 

これまでにも諦めねばならないものは多かった。一つ一つ捨てながらそれに変わるものを見つけるのが困難になってきた。これが「老い」と言うものなんだろうと合点はする。古い玩具は捨て、何かそれに代わる新しいものが欲しいと念じながら心、晴れぬ日を送る。

 

ここまで書いて2週間あまりの時間が流れた。いつも雑文を書くときは一気に書き終えるのだが、今回ばかりは書きたいこととは別な方角に流れがちになり、思うように書けなかった。そこへ今朝ラジオで老人性うつ病、九つの症状と言うのを話しているのが耳に入った。ほとんどが私の今の症状に該当する。唯一つ食欲が落ちると言うのだけは違っていた。食欲は大いにある。何を食べても美味しい。残り八つの症状はぴったりである。(なお、9つの症状がどんな内容だったのかは、忘れました。)

ここから脱出するためにいかにあらねばならないかが、今の課題である。

 

2004年1月

 

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