パソコン通信の頃
隣家の猫
こんにちは
しっぽです。
隣家に動物好きな夫婦が引っ越して来ました。家の中できゃんきゃん、にゃーにゃー言ってるのはいっこうに構わないのですが猫君がわが家に迄遠征して来るのです。
中庭は言うに及ばず私の使用している平屋部分の屋根、縁の下を我がもの顔に走りまわります。まして恋の季節ともなると類は友を呼ぶのでしょうか?それはそれは時間、場所構わずに大騒ぎをします。
頭に来た私は怒鳴りこみたい気持ちでした。そんなある日お隣からたらの芽と蕨がいつも猫が迷惑をかけています、の口上と共に届きました。くいしんぼーの私は何も言えなくなりました。そして久しぶりに緊張してたらの芽のてんぷらを作って賞味しました。食べ物に弱いしっぽです。
赤ずき
ご近所から赤ずきをどっさり貰いました。その皮を剥きながら以前読んだ高岡の佐藤市長のエッセイを思い出しました。市長は赤ずきの酢のものが好きだけど東京育ちの奥様には通じない。
そこで高岡に住む様になって初めて親類の人に作り方を教わり食べられる様になった。と言う物でした。大根の古漬を酒粕で煮た物等も作って貰える様になった、と言うお話しだったと思います。
フランス料理のお得意な奥様も驚かれたでしょうね。これらは、まったくの郷土料理ですから知らない人には抵抗があったかもね。
私も赤ずきは好きで頂いた時は大鍋でからいりして、熱い内に陶器かほうろうの容器に入れ、酢をかけて蓋をしてさまし、食べる前に砂糖と醤油で調味します。たくさんある時は瓶等に詰めて保存しますが、今の若い人は余り好まれない様ですね。
頭と同様に皮膚の弱い私はたくさん皮を剥いていると手が痒くなってきます。
・1997年9月
涅槃団子
こんにちはしっぽです。
陽射しも明るく日も長くなりもうすぐ本番の春ですね。先日、お向かいのお婆さんがお寺で今年はたくさん拾ったからお裾分けをしてあげる、と涅槃団子を一二粒下さいました。私にとっては何十年ぶりのご対面で嬉しくなり昔の事を思い出しました。その頃は尼寺の庵主(私達はあんじょはんと言っていましたが)が届けてくれる涅槃団子を、黒砂糖でからめ黄粉等をまぶしてお八つに食べたものでした。とても色鮮やかで赤、緑、黄、ピンクだったように記憶していますが、今回手にしたのはパステル調の柔らかい色合いに感じられたのは私の視力のせいでしょうか?
その後又友達がお団子を毛糸のコマあみでくるんで紐をつけお守りにしなさいとくれました。何と涅槃団子に縁のある年だった事でしょう。ちなみに私は涅槃団子をあねはん団子と言うのだと思っていました。幼かったのですね。
お話し変わって今三月に文化ホールでの発表会に演ずる「和胃憲脾講」という中国体操の動きを練習しています。胃を健康にするマッサージ風の体操です。食べ過ぎをこの体操で治して春本番を迎える事にしましょう。
では、皆さんごきげんよう
1997年2月
草刈り十字軍
昨日、小杉の文化ホール、ラポールで上映された「草刈十字軍」を見て来ました。 副音声つきとの連絡を受けたので楽しみにして行ったのです。
それは山口県のボランティアが手作りでされた機械だったので私が思っていたよりはバックに音楽が流れたりすると聞こえず、テレビの多重音声と比較にはなりませんでしたがその気持ちが嬉しいと思いました。
上映前に足立原教授のお話しがあり、いろいろおっしゃった中で主演の加藤剛さんが出演の条件として、盲人の青年の話しをテーマにして欲しいと望まれたそうです。
ご存知の人も多いと思いますが劇中、二十歳で失明して28才で十字軍に参加された人の事です。
劇中草刈り字軍に参加たいと申し出た彼に足立原教授は、山は坂道が多く危険だから」と辞退されると「私は転んで道を憶えます。私にとって未知が道です」と応えるあたり良かったですよ。
ラストに近く「木が嬉しそうにしているのが私に見えます」と言う彼に教授が「貴方には私達の見えない物が多くみえるのでしょうね」と、おっしゃったのも印象的でした。
お盆休みで皆様がお出かけの間、毎日が日曜日族の私は静かに家で過ごします。
でも昼前にこの夏最後のしそジュース5リットルを作りました。自分が飲むより1 様に差し上げる方が多いのです。
1997年8月
高校野球と盲腸炎
高校野球も終わりに近ずいてきましたね。
今日は私の昔の話しを聞いて貰いましょうか。
それは今から40余年前、私が高校3年生の夏休みでした。二人の兄を持つちょっとおませな友に誘われて、富山球場へ野球の応援に行く事になりました。
その頃の私は女の園に育ち野球のルールは何一つ知らないおぼこ娘でした。
高岡駅からバスで富山球場に着き、応援席に座った時、その雰囲気に私はすっかりのまれてしまいました。
その試合が勝ったのか負けたのか全く記憶にありません。
とにかく試合は終わり、球場から富山駅へ歩いて行きました。
暑くて長い長い橋だったのを憶えています。
富山駅前で握り寿司を食べて無事帰宅しました。ところがその晩私は腹痛をおこし往診した医師に盲腸炎と診断され、近くの外科病院に入院しその夜の内に手術を受けたのです。
番茶も出花の私のお腹に二人の男性が赤チンを塗りまくり(その頃はまさしく赤チンでした)何かスポーツをやっているのか、とか手術は局所麻酔でするから痛かったら痛いと言いなさい、と言われました。
そこで私は遠慮なく30数回痛いと言ったそうです。
これが私の身体にメスの入った始めでした。
今、私の身体の前面に横、縦、縦、横と4カ所の傷あとがあります。
ちなみに私を野球場へ連れ出してくれた友はブラジル在住で3年前に帰国したとき訪ねてくれました。二人で餅を焼きながら昔話に花を咲かせました。
つまらない話しを長々と聞いて下さり有り難うございました。
1997年8月
完走賞
こんにちは、花のシングルライフを楽しんでいるしほです。
昨日、<全国視覚障害者サイクリング大会イン鳥越>に参加して30キロメートル完走賞を貰って来ました。
10キロメートルほど走らせて貰えば満足だと思っていたのに、私のパイロットになってくれた29歳の村役場勤務のお兄さんと、起伏の多い村内のロードを楽しくおしゃべりしながら、30キロメートルを完走しました。
昨夜、前夜祭の後、同室になった石川県の人が、昨年は後でお尻が痛くて大変だったから、今回はサドルに巻くバスタオルと結ぶひもなどを持ってきた、という話を聞いて、ちょっと心配だったのですが、当日私の体に合わせてサドルの調節をして貰い、とても爽快で楽しいサイクリングになりました。
サイクリングの途中で栗拾いをしている余裕組も有りましたよ。
何しろ青森、神奈川、大阪、岡山などからの参加者もあって鳥越村皆さんの心のこもったもてなしを受けて、また楽しい思い出を一つ増やして来ました。
ちなみに、今日現在、どこにも痛いところが残っていないのは、日頃のトレーニングの賜物かしら?
99/08/03
コルシカ島
ボンジュール! ちょっとフランスかぶれをしたしほです。
熊本の北里さんご夫妻と盲導犬ノエルと一緒に 先月コルシカ島へ行ってきました。
ナポレオンの産まれたコルシカ島は地中海に浮かぶ 四国の半分くらいの面積の島です。
北里さんはね、今回の旅行に備えて点字の地球儀を買われたのですが、それって高価な物だそうで、この春二人が貰った地域振興券で買ったそうですがこれが国名は頭2文字しか書いて無いので「よう わからんかった」と言うのがお二人の感想でした。
ニースからフェリーで4時間でコルシカに着きました。私に言わせれば逆3角形をした島で中央には標高の高い山があり、島を斜めに縦断するコルシカ鉄道が走っています。
その鉄道の始発から終点まで乗ったのですが、前日の睡眠不足で列車内で眠りこけていた私が、蜂の巣をつついた様な声で眼を醒ましたのは、途中の駅から乗り込んだ10歳前後の林間学校へ行く子供達が 盲導犬が珍しく騒いでいるのを我々の一人が写真に撮り、それを 送るという話しになったので子供達が自分の名前を口々に言い出しての蜂の巣でした。
アジャクシオという、島1番に大きな町で泊まり、翌日散歩をするグループに加わって浜辺を散策しました。
地中海はあくまでブルーで美しく2頭の馬で散歩をしているご婦人に宇都宮の盲学校を定年退職して、海外で3寮の仕事を始める準備をしているK先生が「ボンジュール」と話しかけても、つんとすまして我々には一顧だに与えず通り過ぎて行きました。
その馬の足下を見ていて私はふっと月の砂漠を連想しました。
らくだと馬の違い王子様と王女様ではなかったけれど、つんとした貴婦人の様子が私にはそう思わされました。
この島でナポレオンの生まれた家やぴょんぴょんはねる魚市のロブスター、あふれる花市などを自由散策して青いブドウの実を付け始めたブドウ畑の側にあるワイナリを見学したあと、試飲したワインの中で気にいったのをお土産に貰い旅行鞄の片隅に入れて持ち帰りました。
これは皆様に会う機会があったら一緒に飲みたいと、今は家の冷蔵庫で横になりながら出番を待っています。