トルコ

 

俄か億万長者

 

考えてもいなかったトルコへ旅を決めたのは1本の電話だった。前回参加をしたツアリーダーから10月7日出発のトルコ旅行の参加申込者にキャンセルがでたので私に参加しないかとの誘いの電話だった。「トラベルボランティアもスタンバイしている」との言葉に惹かれて私はOKの即答をした。出発までに日にちは、少なかった。私なりの日帰り行事、サークルの一泊研修、市のふれあいの旅での倉敷行きなど日程は詰まっていた。いつも海外旅行をする時は1週間くらい前からスーツケースを開き思いつくままに必要な品物を放り込んで準備をするのだが、今回はスーツケースを宅配便で送り出す前々日に鞄を開くという慌しい準備だった。

 

12時間あまりのフライトの後、日本より6時間遅いイスタンブールに着いた。此処で私は日本より持参した米ドル200ドルを両替した。これがなんと2億6千万リラである。私の海外旅行用の財布に億という現金が収まった。普段億という単位の計算などしたことの無い私は俄か億万長者になってふわふわと落ち着かない。俄か億万長者の誕生だった。

私はトルコに関して全く無知である。トルコ行進曲、何年か前に流行った「飛んで飛んでイスタンブール♪の歌」、富山の県の花チューリップの原産地くらいしか知らない。

トルコを旅する間ついてくれるアイチャと言う小柄な女性ガイドに教えてもらい、此処からトルコについての勉強が始まった。「アイチャ」の意味は三日月と言うのだと教えてくれてとても上手に日本語を話す。でも土地の名前などは現地風に発音するので聞きにくくカタカナでの表示は私には出来ない故に地名など間違えて書くこともあると思う。

トルコは東西に長く土地は日本の約2倍、人口は半分だと言う。北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に面している。豊かな土地と海の恵みを受けた国だった。

イスタンブールはボスファルス海峡をはさんでアジアとヨーロッパの境目で市内にアジアもヨーロッパもある。

そこをバスで移動しながら観光した。ブルーモスクは非常に大きく中には美しいタイル、ステンドグラスなどがあるらしい。トップカップ宮殿も立派である。地下の宮殿も立派だった。

イスタンブールから海沿いにバスで走りながらトロイの遺跡の木馬、アヤソフィアの遺跡、聖母マリヤの家等エーゲ海沿いに走った。昔は港町だったのにだんだん海に陸地が広がり港でなくなった話など聞きながらイズミールに向かった。途中バスドライバーの好意でエーゲ海のビーチに車を止めてもらってエーゲ海の水に触った。昔からエーゲ海の色は一際美しいと聞かされているので私にもその美しい色が感じられる。ビーチの石も変わった色の奇麗な石が多いとのことで皆さん拾っていらして私にも少し分けて下さった。イズミールではとても美味しい種の無いぶどうを存分に食べた。此処までに窓外に見える畑などは緑が主であった。

次に国内線で首都のアンカラに入りカッパドキヤ地方へ向かった。標高が1200メートルくらいの高原になるので窓の外は黄色に変わる。麦と綿花が植えてある。その収穫も家族でのんびりと手作業でしているのが見られると私の介助者は伝えてくれた。カッパドキヤと言うのは美しい馬の国という意味だとアイチャは教えてくれた。トウーズ湖、これは塩湖でどうしてこんな高原に塩湖があるのか不思議に思って聞いて見ると昔は内海だったと言う。

シルクロードのキャラバン隊が休憩したキャラバンサライは、10キロメートルくらいの間隔であったのだが、今は少ししか残っていないと言う。その一つも見学した。盗難を防ぐ為に出入り口は一つしか作られていないのだとのことだった。ここで洞窟のホテルに2泊した。自然の洞窟を利用して部屋が作られ、内部はかなり広い。バス、トイレは今風にタイルで作られていたが、部屋の壁面は自然の岩石そのもので、部屋の中央にはダブルベッドが置かれ、壁面の窪みを利用して普通のベッドより少し高い位置の岩の上に、シングルのベッドも作ってあった。部屋の前に簡単なテーブルと椅子が置いてあり、観光が早く終わった日は、そこで隣の洞窟の部屋に泊まったご夫婦とお茶を楽しむと言うやすらぎのひと時もあった。食事は食堂のある洞窟に歩いてゆき、チロチロと燃える暖炉を背にこの国のお酒、氷水で割ると白くなるラクというお酒も楽しんだ。食事を終えて晴れ上がった夜空を見ながらキューンと冷えた空気の中を洞窟の部屋に歩いて戻った。

朝の食事の後、食堂のテラスに出て昇り始めた日の出を見ている私たちにジュースを運んでくれた好意も嬉しかった。この地方ではギョレメノ野外大博物館、カイマクル地下神殿など自然の石が茸の形をした奇岩など観光した。ラクダにも乗ったが以前アラビヤでラクダに乗った時は足を折って低く乗りやすい体型になってくれたが、今回は脚立のような梯子で登りまたがったが機嫌が悪かったのか体をゆすって乗車拒否のように歩くので怖くて早々に下りた。

こうしてカッパドキヤ地方の観光も終えて国内線でイスタンブールに戻った。時節柄国内線の手荷物検査も厳しく小さな空港でも必ず3度の検査があった。

イスタンブールのバザール、空港内の免税店で慌しく残っているリラを全部使い切り、億万長者は普通の旅行者に戻って帰宅の途に付いた。

 

この国の食事は出発前にラム、マトンが多いと聞き、食べ物に好き嫌いの無い私だがマトンの匂いだけは苦手でどうなることかと思ったがマトンは少なかった。海沿いを走っている時にはお魚、特にお刺身風な生のお魚も登場し、親しみやすい魚料理が多かった。サラダは総て材料を賽の目状に切られ、中にはらっきょうくらいの大きさで口に入れると涙と鼻水が同時に溢れ出し口の中は火事場のようになる香辛料の酢漬けが混じっていることもあった。オリーブの実もよく顔を見せた。フルーツはふんだんに出されフレッシュな生ジュースも美味しかった。クレープに野菜やお肉を包んで食べるお皿もちょいちょい登場したようだった。

今回の旅にはとても素晴らしい気の合うトラベルボランティアに恵まれ一段と旅を楽しいものにしてくれた。

 

2003年10月

 

メールはこちら

ホーム