戦争で奪われた父

父の想い出

 

時折家族を連れて東京から帰省する息子のわが子への接し方を見て私は我が父の事を想い出した。

父と私が別れたのは私の八才を迎えた春である。厳密に言えばもっとその前、当時の国民学校一年か二年生になった頃父は出征した。だから正直なところ私にとって父の想い出は少ない。ただしっかりと覚えている事の一つに当時の担任の先生から「あなたの戦地にいるお父さんからお手紙を貰いましたよ」と言われた事である。そのときは何気なく聞き流していたが今思うとどんな気持ちで父は戦地から娘の担任教師に手紙を書いたのだろうとその心情を思いやると涙ぐむ。どんな内容だったか今となっては知る由もない。黒い二重まわしのマントにソフト帽をかぶった父がつぶらな瞳をぱっちりと開いた私を抱き姉がマントに寄り添うように立っている写真が目に浮かぶ。

夜の金沢駅で最後のお別れをしたとき父の水筒に入っていた甘い紅茶を飲ませて貰った事、雪の日にスキー板にしっかりとゴム長靴を結わえて貰った事そのおかげで歩くスキー大会で初めて一等賞を貰った事など余りに幼くとりとめのない断片的な想い出ばかりである。

今息子は私の父が戦死した年に近い。そして長女は当時の私の年齢である。平和な時代に生きる彼らの姿を見て私は感無量である。

 

1996年6月

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