体験「ボランティア スタディズ」

 

見つけよう、自分に出来ることと言うテーマで小、中学生に体験「ボランティア スタディズ」に参加してもらう行事があるので手伝って欲しいと誘われ、軽い気持ちで承諾した。詳しい内容は知らないまま、私に出来る範囲のことは協力をしたいと常に思っているので自分から進んで申し出ると言うことは出来ないが、誘ってくだされば応じている。その当日、初めてこれは全国16箇所で行われ、その都度テーマが代わって、ここ高岡では視覚障害者に的を絞ってのイベントと分かった。他の地域では外に出て、体験すると言うこともあったらしい。高岡では参加者にアイマスクでいろんな経験をしてもらうことから当日の日程は始まった。目隠しをして歩行すること、衣類の着脱、点字で名刺を作成すること、音声パソコンでの操作、お金の見分け方など等を5名一組のグループに分けて始まった。私はお金を見分ける部に参加してコインなどの見分け方を教えて実際に見分けてもらうと言う場所で協力をした。

とにかく高校生が司会、進行を進め、大人のスタッフが後援するという状況なのでかしましい。普段一人で静かに暮らしているのでこの喧騒と室温の高さにいささか参りはしたが真剣にお金の判別に取り組む児童たちにもそれぞれ個性があるのをほほえましく観察させてもらった。

この体験をもとに児童たちには何を感じ、何を見つけ、自分のできることは何だろうと気づかせまとめさせるのがこの行事の主目的なのだろう。最初、この行事に参加者を募集しても応募者が少なくて、くじ引き、じゃんけんなどで参加者を集めたと言うスタッフの裏話などを聞いていたのでお義理で集められた児童がどんな気持ちで今日を過ごすのだろうといささか心配だった。

 

でも40名近い彼らが生き生きと新しいことに挑戦してくれて視覚障害者がどのような暮らし方をしているのかを少し分かってくれたのは嬉しかった。

終わりに各グループでその成果を発表すると言うことで行事は終わった。感じたことの中に視覚障害者はいろんな努力をしているのだなと思ったとかこれから町で白い杖を持ってる人があれば手を引いて案内してあげたいなどの嬉しいことも言ってくれた。

最後にスタッフの反省会があり、私は児童の発言で見えない人は可哀想だと思ったと言うのがちょっと引っかかり、私にとって見えないことは不自由だけど決して、自分は可哀想な人間だと思っていないこと、障害を個性と思うほどではないけれど、障害者を可哀想な人と発言するようなことの無い教育をして欲しいと述べた。大方のスタッフは理解してくださったと思うが、中に一人、あの年齢の子は、そう思っても当然だと反論なさるPTA側の人があった。彼自身も障害者に対してはそのような憐れみの感を持つからでの反論だったのだろう。これには私は自分の意を解してもらえなかった不満が残った。これはちょっと寂しく重い気持ちにさせられた。

 

2005年1月

 

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