スイス

 

              再びスイスへ

私の大好きなハイジの国、スイスへ 再び訪れた。

この夏のヨーロッパの大洪水で旅をキャンセルする人が多かったせいで、行きの飛行機は空席があり、私は二人分の座席を一人占めしてゆったりと12時間のフライトを楽しんでチューリッヒ入りした。

そこから列車で温泉保養地バーデンへ移動しスイスでの第1夜を向かえた。

旅する間ついてくれるスイス人と結婚したこの日本女性ガイドが花の色の鮮やかさを説明してくれる。

同じ花を日本や他の国へ持って行ってもスイスほどの色は出ないのだと言う。この国の気候風土のなせる技だと言う。

スイスの温泉は 日本で言えば温泉センターの様な設備で、屋外に大きな温泉が、寝て入れる所、泡の噴出している所、流れている場所などと広い。

勿論屋内にもプールのような静かな所もある。水着着用なので男女混浴?である。

童心に返って、充分お湯遊びを楽しめる。

次の日は前回も訪れたバートラガッツに列車で移動、夜はレストランでチーズフォンデュ、ミートフォンデュを楽しみ翌朝は、午前は温泉、午後は2頭立ての馬車でハイジノ村への小旅行をした。

前回とは違ったコースを馬車に揺られて自然の中を行く。大好きな景色が次々に現れる。馬の耳に帽子の様な物がかぶせてあるのは、蝿防止なのだそう。バートラガッツで2泊後、電車や登山列車を乗り継いで山の女王と言われるリギ山へ着いた。

ここでは夕日、日の出を見たいと言うことで標高1800メートルのホテルの窓は二重窓で雪の季節はスキーヤーの宿になるのだろう。バスルームには乾燥の電気のパイプが備えてあった。

気温は低く震えながら360度展望する中であれがシャモニー、アイガー、ユングフラウ等と聞きなれた名前を教えてもらいながら山に入る入日は墨絵の世界だと言う人、空は孫悟空の世界だと嘆声する人の声を聞きながら私も充分、その雰囲気を満喫した。

次の日は山を下りて船でルッテルンへ、ここでは交通博物館など見学し湖の傍を走るSLに乗った。これはこの町のSL愛好家100人がローテーションを組んで運行していると言う。3人で、石炭をくべるのなどの作業をして運転する。湖の辺のベンチに休みながらストリートミュージシャンの奏でるフルートの音色に耳を傾けるのも心安らぐひと時だった。

葡萄畑の中をハイキングしたのもとても楽しく道端の葡萄を摘んで喉を潤し青い空、エメラルドグリーンの湖、美味しい空気、歩ける幸せをしみじみ味わう。

それからの2泊はモレゾンの山小屋だった。

ケーブルで山頂まで朝、登った時は霧が丁度晴れ、朝日に丸い虹が出て、そこに立つと、まるで後光が射してる様だと教えてもらう。冷たい空気の中で各々散策をした。グリエールチーズを作る村ではチーズの出来るまでの実演を見、古城の3階のベランダから見下ろした所はフランス風な庭園。ちょっとプリンセスになった気分も味わった。

ここの門前町風な一角にあるレストランでラッティと言うチーズとジャガイモの素朴な料理を食べたが箸安めにピクルス等摘みながらどれだけでも食べられそうな美味しさだった。

フランスとスイスの国境が家の中に在ると言うレストランで食事をして、フランス新幹線の出るジュネーブに移動して私にとっては3度目の新幹線でパリのリヨン駅に着いた。

今回はモネの庭園、彼は日本に来たことは無いがとても日本が好きだったと言うことで浮世絵が一部屋一杯に陳列され庭には太鼓橋風な橋もかかり花一杯の庭を散策。次いでゴッホの住んだ狭い部屋、麦畑のモデルとなった所に立った。参加者の中には胸いっぱいにひまわりの花を描いたブラウスで、麦畑で写真を撮りご満悦な人もあった。

こうして今回の旅は終わったのだが介助者がまったく語学に弱い人だったので最小限の対応は自分でしなければならなかったのも、今となっては楽しい思い出の一つになっている。

フィリピンかと異国の人に聞かれても何も返事をしない彼女に、「ノー、ジャパニーズ!」と大声で横から叫んでしまう愛国者の自分を感じたり数々のエピソー、密かに暖めておきたい思い出など胸に抱いて、帰国した。

              2002年 9月

 

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