七回忌

2005年は、ほのぼのとした気分で迎えることが出来た。実を言えば年末に20年近く楽しんだサークルからの引退を決意し、これは事前に表明すると、皆にもう少しいらっしゃいよとの言葉が来るに違いなく、そうなると、つい、又、ダラダラと私は出かけることになりそうなので、黙って身を引いて既成事実を作っておしまいにしようと心で決め、それなりに寂しい思いを噛み締めていた。

そこへ年末にボイスチャットを楽しもう、とのお声がかかった。新規のことはSOSを出した時に、すぐ対処をしてくれる仲間がある時にしなければトラブルを起こしてしまった時は泣くに泣けない状態に陥るのが嫌で、新しいことは年末年始が終わってからトライするからと何度も断わったのだが、音声の出ない場所のガイドは電話でしてあげるからと強く誘ってもらった。そして大晦日の夕方、スカイプのインストールをし、セットアップの音声ガイドがない所は電話でサポートを受けながらボイスチャットが出来る状態になった。指導してくれた人も喜び、夜に私がチャットが出来る状態になったのを知らない人に知らせてやろうと言うことになって夜を迎えた。私は緊張してその時を迎えたのだが相手をしてくれる人たちは年忘れのアルコールの入った状態で会話を楽しむことになった。多分、一人で年末年始を過ごす私を慰める気持ちもあって、大晦日に私を引き込んでくれたものと思う。

おかげで私は新しい年をほんわかした気分で迎えることが出来た。

そして成人の日を組み込んだ三連休には亡夫の七回忌を加賀の温泉に近親者を招いておこなった。これは我が家の菩提寺の住職が二年前に亡くなり跡継ぎが目下僧侶の資格を得る勉強中ということで法要をするなら、全く縁のない僧侶を頼むと言うことが私には納得できず、それなら、温泉で皆さんに亡夫のことをしのんでお話をしてもらう方が供養になるのでは無いかとの、私の意志でとりおこなった。

雪の山代温泉へ亡夫の姉妹三人、姪夫婦、私の息子夫婦と孫一名の参加でお食事を楽しみながら思い出話に花を咲かせた。亡夫の姉からは彼の幼かったときの言動や、姪からは我が家では見せなかった一面を聞かせてもらった楽しい一夜であった。とりわけ姪が幼い日に亡夫が彼女に頭の禿げる状態が額から禿げるのは頭のいい人、登頂から禿げるのは頭の良くない人の禿げ方だと教えられたのをずーっと成長するまで信じていたと言うのには一同大笑いした。亡夫は額から禿げてきていたので自己保身の言い訳だったのだろう。

雪の加賀温泉駅から東京方面へ帰宅した人たちも少しの列車の遅れはあったが無事に帰宅をしたとの連絡を受け、一つの節目を終えほっとしている。

 

2005年1月

 

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