身辺自立

 

近頃、中途失明者の身辺自立と言う話題が耳に入ることが多くなった。私自身は中途失明者としての生活が20年近く流れてきた。徐々にではあったが光を失っていく間に自分なりの工夫で日常生活を維持して来た。世間の人は見えなければ何も出来ないと思う人が多いらしく、私が現在一人暮らしをしていると言うと、「食事の支度は?」「洗濯物はどう干すの?」などと不思議そうに質問してくれる。こんなことは工夫次第でどのようにでもこなせる。もっともどうしても出来ないこと、手書きの文字を読むなどということはどうしても人の目を借りねばならない。

この工夫をしないで家族の手を煩わせて生活をする人が多いらしいのである。私が40年近く連れ添った夫は、私が視力を失っていく段階で何も手伝うと言うことはしてくれなかった。食事の際に「こぼした」とは言うが、何を何処にこぼしたとは教えてくれないのである。そこで、私はみっともないが手で探して自分で見つけねばならなかった。それが反面教師となってできるだけ人手を借りずに生活する習慣がついたのだと思う。それに引き換え時折帰省する息子は私がこぼしたな?と思う間もなく手を伸ばして拾ってくれる。その時、私は「ああ、こんなに親切にしてくれる同居者があると何も出来ない盲人が出来るのだな」と心の中で思う。その何も手伝ってくれない夫との間で、どちらかが病気に、例えば癌になっても隠さずに教えあおうねとの約束をしていた。彼が胃癌と診断された段階で医師から、本人に知らせますか?との質問を受けた。私は現代隠しおおせるものでは無いし、お互いに知らせあおうとの約束があるので本人にも告知して欲しいと申し出た。そこで医師は告知をするのは午前中、私と一緒にいる時に告知をしてその日は私と一緒に帰宅をして家で過ごしてくるようにとの配慮をしてくれた。医師の指示通りの脚本で彼に癌の告知をして、共に帰宅した私は「お昼は何を食べる?」と聞いたとき、彼は冷たい麺が食べたいと言うので、私はガスレンジに大きな鍋をのせて乾麺を湯がく準備を始めたとき数本の麺をパラパラとこぼした。丁度その時私の後ろを通りかかっていた夫が、手を出してその麺を拾ってくれた。

今までそのような親切をしてもらったことの無い私は思わず「ウワー、親切だね」の声を発した。彼はすかさず「出来る間に親切にしてやるよ」と初めて言ったのだった。余命が後、いくらも無いと告知を受けた段階で、彼の心の中にどのような感慨がうまれたのかは私には分からなかったが、この親切には素直に感謝をした。

私は二人姉妹の末娘として甘やかされ、依頼心の強い娘として成人した。ところが40年近くを共に暮らした夫との生活の間に、現在も一人で暮らすことに寂しさも不自由さも感じない心が培われたのではないかと、ひそかに彼に感謝をしている。

2004年9月

 

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