散歩

 

息子の弁当作りから開放された頃、私はその時間をジョギングする事に決め実行し始めたのは四十の坂を越えた頃だった。当初は約二キロメートルを走って来ただけで汗をびっしょりとかき床に大の字になり息を整えてからでないと次なる行動に移れなかった。それが徐々に馴れ日課の一つとしてこなすようになっていった。そして何年間かが過ぎた時、私はわき道で吠える犬に気を奪われ激しい勢いのまま転倒し膝を強打し骨折をした。

二カ月近い入院とリハビリを終えて退院した私はそれからジョギングをウオーキングに換えて毎朝約四キロメートルを歩く様になった。自分で決めた事は余程の事が無い限り実行しなければ気持ちの悪い性格の私はかなりの風雨で無い限りそれを続けた。とても気持ちの良い日課だった。

その間に私の視力はどんどん落ち歩き馴れた道なのに側溝に落ちたり歩道の途中にある電柱にぶつかったりする様になった。でもこの気持の良い日課は止める気にはなれなかった。

そこで白杖持参の散歩となった。

小鳥のさえずりに耳を傾け季節の花木の香りを楽しみ味噌汁や油いための匂いを嗅ぎながら想像をたくましくしながら歩く。

時には自転車に乗った女性が自転車を止め「よけいな事かもしれ無いけど、あなたは道の真ん中を歩いているのよ。車が来ると危ないわ」と注意をして下さる。又にわか雨に会いどうせかえればシャワーを浴びるのだからと歩き続けていると数メートル先に車を止め、ビニールのゴミ袋を持って降りて来て「濡れると風邪を引くから。毎日精がでるのね」と言いながら顎の下で袋を結んで下さる親切な人もある。

勿論意地悪な人もいる。私の行く手に黙って立ち私が本当に見えないのかと試す様な行動をとる男性もいる。世は様々である。この楽しい習慣を私は出来るだけ続けて行きたいと願っている。

1996年6月 

 

 

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