良心

 

良心って何だろうとつい、考えたくなることがあった。

私は取り壊した旧居の跡が、草茫々になるのを恐れて跡地にアスファルトをかけてもらった。すると、近所の方から車を置かせて欲しいとの要望があり、どうぞと言うことになり、駐車料金を頂くことになった。周囲の相場より、少し低めの料金で何人かの人から毎月、銀行振り込みで駐車料を頂いてきた。

その内、何台と契約を結んでいるのかと、気にかけてくださる人が、私に問いかけてくださった。私が答えると、それ以上の車が駐車をしているよと知らせてくださる。

私は、どうせ空いているのだから、まあいいでは無いかの気持ちだったが、今年起きた新潟、中越地方の地震のような激震があって、車同士のトラブルが生じた場合、土地管理人の責任が問われるようになるから、駐車場にはチャント線引きをすべきだとの忠告をしてくださる方があり、私もようやく線引きを業者に頼んで実施してもらった。その線引きが終わった段階で、今まで一台分の駐車料金を貰っていた家から実は3台置かせて欲しいのだとの申し出があった。今まで線引きの無い場所では3台を置いていたようなのだが、線引きがされると黙って置けなくなったのだろうと思う。

実を言えばこの家からは車庫証明が必要なので印鑑が欲しいと来宅された時に、書類に押される枚数が一枚で無いらしいことは、私には感じられていた。

でも、視覚障害の私が口に出して言えることでは無く、自己申告してもらう以外方法は無いと思っていた。この何年間は一台分の料金で3台を置いてこられたことが分かった。心情はどのようなものだったろうかと私は考える。言い訳として、盛んに息子や娘の車も置きやすかったのでとの言い訳をなさるのを聞きながら、ちょっと複雑な気持ちで、私は割引料金を提示した。

「それでいいのでしょうか」と聞かれて、エエ結構ですと言いながらも、もっと早くから自己申告をしてほしかったというのが私の偽らざる気持ちである。

2004年12月

 

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