癌で逝った夫

節分寒波では九州各地にも積雪があったと報じられていましたがこの頃は如何でしょうか?

夫一吉が旅立った際には 丁重なお手紙とお香典を頂誠に有り難うございました。

6月にお見舞い下さった折りは、皆様と同じ物を口にする事が出来ました。そして、7月に退院をした頃は病院では食べられない炊き立ての熱いご飯に卵をかけたのを食べたい等と言い祈るような気持ちでご飯をよそったものでした。

8月に孫達が帰国をしてきた時は 高岡の駅前通りの七夕様を歩いて案内し、ファミリーレストランでフレンチトースト、コーヒーゼリーを食べる事が出来ました。

9月頃は食べるものをその度に戻しているように思えるのですが「全部は出してない。少し残ってる。」等と言いながらも家で過ごしていました。しかし、9月23日の未明に脱水状態でこんにゃくの様になり驚かされました。

そして再入院をして点滴での栄養補給となりました。

大変帰宅をしたがり最初は週に2泊3日位の帰宅が出来たのですが段々、1泊が限度となりました。しかし、退院をさせろと医師を困らせ、病院の紹介で訪問看護をしてくれる医院を知り、其の制度を利用して12月18日から28日迄を家で過ごす事が出来ました。

酸素不足による苦しみが始まり酸素マスクが必要となり28日に再々入院をしました。

最後の二日位迄はしっかりと話しも出来、私と息子の見守る中で静かに消える様に旅立ちました。

小さくなって私が両手で抱き上げる事が出来るように思える程でした。

皆様にはいろいろお心尽くしをして頂本当に有り難うございました。

 

私は息子が家を整理してマンション暮らしをしろと強く勧めますので、ゆっくりとその道に向かって進みたいと思っています。

1999年2月

 

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