再びのオーストラリヤ

 

唯一人の姉と同級生を二人見送ったこの年、新型インフルエンザの報道もかしましく、とても海外旅行に出かけられるような気分ではなかった。それが秋の初め頃、何時も利用する旅行代理店のこれからの旅の項目の中に、「もう一つのオーストラリヤ」と言うのを見つけ、ふと出てみる気になった。でも12月と言う気忙しい時期に、私の介助を申し出てくれるような奇特な人が居るだろうか?居なければ居ないでいいわ!の軽い気持ちで待っていた。すると、旅の実行ひと月前に、私の介助者は見つかり、総勢8名と言う小規模の参加者だが、この旅が実行されるとの連絡を受けたのだった。8名の参加者は、これまでにもよく知っている仲間達で代理店には悪いけど、楽しい旅になりそうな予感がしたのだった。

時差の少ない国への旅で、前泊後泊も無いのが気楽。しかも、今度はビジネスクラスのフライトを楽しまないかとの誘いもあり、私はそれにのって、初めてのビジネスクラスのフライトの経験もしたのだった。この件については、ブログに詳細に報告をしているのでここでは省略をするが、体はゆったりと寛いで行ける快適なフライトだった。

夜、成田を発って、早朝のパースに着いた私たちは、空港に迎えに出ていてくれた女性ドライバー兼ガイドのワゴン車で、パース市内の観光から始めた。真冬の富山から真夏の国へやってきた私、機内で、富山からのコート、セーターを脱ぎ、軽い綿のコートに着替えての観光となった。キングスパークと言う公園は緑が美しく、多くの小鳥が囀って気温も思ったほど高く感ぜず良かったのだが、蝿のような小さな虫が、むき出しになっている私の顔に群れてくるのがうるさく、不快だった。でも、このように多くの虫が居るから、小鳥達も餌が多くて多いのだろうと自分を納得させたのだった。

パース造幣局では、ひんやりとした金塊の感触を楽しみ。郊外のフリーマントルと言う場所や旧刑務所跡などは車の中から見学した。

昼の用意がされたホテルに到着して、ビュッフェスタイルの食事を摂った。私は自分の不手際から機内での朝食をしっかり摂っていなかったので、海老、蟹、ムール貝等をむさぼるように食べて満腹になった。ところが、その代わり夕食の南瓜のスープや炭焼きのスコットランド風のステーキはほんのチョッピリしか食べられなかったのが残念だった。乞食の腹も二つ無いように、しっぽの腹も二つ無いのだということをしっかり認識して、これからの食事は気をつけようと自戒の念を強く持ったのだった。昨夜は機内泊だったので、午後はゆっくり過ごそうということで、早々と宿泊ホテルに着き、パース第一日目は終わったのだった。

パース第2日目は、カバシャムのワイルドパークと言う所へ行った。此処は動物園のように多くの動物が居るのだが、それぞれ放し飼いになっているゾーンに私達が入っていって、動物と触れ合うといった形だった。カンガルーのところでは子どものカンガルーが餌をねだって、群がって来るので「尻尾を踏まないように注意をしてください」と注意を受け、私は神経を使ったのだった。でもまあカンガルーと握手をしたり結構楽しい触れ合いだった。また、コアラのゾーンでは手の甲で撫でてやって欲しいと言われた。しかし、この動物園にしか居ないといわれる世界の珍獣ウオンバットを抱いてもいいとは言われたのだが、28kgもある、この大きなウオンバットを抱く気にはなれなかった。抱いた人の話では筋肉がすごく発達しているとのことだった。顔は豚か猪のような鼻をしているとのことだった。そして、この国のエミーユと言う鳥は、7個ほどの緑色の卵を産むと雌はさっさと遊びに出掛けてしまい、雄が60日間も卵を温めて育てる、という楽しいお話も聞かせてもらったのだった。

昼は、カバティスピナクルモーテルと言う所で大きな串に刺されたチキンとボールのように大きなハンバーグのようなお肉をまたまた完食してしまった。ただし、私は、その夜の中華料理を目前にしながら涙を呑まなきゃならないという場面もあった。

午後はピナクルス(ナンバン国立公園)という西オーストラリヤの自然を代表する景観の美しい場所へ出掛け、散策をしたのだった。今回で海外旅行は39回目と言う参加者の一人は、墓標のように石の柱が沢山立っていて見晴るかす海のビーチは白く、海は緑色でとても美しいと、興奮気味だった。私も、この美しい景観の地を、しっかりと自分の足で歩ける幸せを感じるのだった。そして、この地の女性ガイドは、移動の途中でも車を道端に寄せて止め、ブッシュの中へ入って、この季節に咲く花々を説明して触らせてくれるという優しい人だった。

オーストラリヤ第三日目は、いよいよエアーズロックへの移動。パースから飛行機で2時間余り飛び、到着した空港には、アランと言う運転手とユウコさんと言うガイドが待っていてくれた。午後、ホテルに到着後、小憩してオルガ岩群カタジュタと言う奇岩が望める場所を歩くことになった。気温は38℃と言っても岩からの照り返しが強く、実際は45℃位といわれる中を登る。しかし、ゴツゴツとおぼつかない足元なので、私は途中で断念して一足先に戻ったのだった。此処が一番きつい場所だったように思う。

夕方、サンセット見学に出る頃は気温も下がり、サンセットビューエリヤまで車で行った。ここで、エアーズロックに映えるサンセットを体験したのだった。現地ではエアーズロックのことをウルルと呼んでいて、このサンセット体験に多くの観光客が集まっていた。プリンのような形のウルルに、サンセットの色彩が刻々と変るので、皆感嘆の声を発している。私もその雰囲気から美しさを感じられるのだった。このエリヤには、シャンパンやスパークリングワインなどが用意してあり、それらを飲みながら美味しい野菜のつまみもつまんで、サンセットを大いに楽しんだのだった。

ホテルへ戻ってからは、自分たちで焼くバーベキューの夕食を摂って、明日の早起きに備えて部屋に戻ったのだった。このホテルの部屋はロッジ風で、総て一階にある部屋だった。

翌日、ホテルの用意してくれた朝食の弁当を持って、今度はサンライズ体験だった。太陽が昇るまでにお握りの弁当を食べながら待ち、サンセットとは違った方向からのサンライズの様子を体験して、エアーズロックの登山口が開くのを待った。しかし、この日は風が強く、登山は出来ないとのことになった。一年の内、登山が許可されるのは100回くらいでなかなか登山が出来ないのが実情のようだった。折角、滑り止めのブツブツのついた軍手を準備して出かけたのだが、この軍手の出番は無かった。

周囲の洞窟等を散策してアリススプリングスへの移動となった。これは6時間くらいの単調な砂漠の道を休憩をとりながら走った。車内でサンドイッチの弁当を食べ、夕食はホテル到着後、烏賊の揚げたサラダ、バラマンティと言う現地特有のスズキ科のお魚のグリルだった。

翌日は朝、アボリジニと言う原住民の村を訪ねた。暑い中でコンサンと言う説明役から、アボリニジの生活や歴史等を30分位聞いただろうか。お尻が痛いし、暑いし小さな虫はうるさいしでいろいろあったのだが、彼らが作ってくれたパンは美味しく紅茶も飲ませてもらった。ドリームブッシュタッカーと言ってブッシュの中で木の実や芋虫など、彼らが食用にする品々も手にとって拝見。でも、私は芋虫と聞いて、思わず手を引っ込めてしまったのだった。アボリジニはカンガルーの尻尾を焼いて食べるのが大好きだそうで、私達客人がこの日来るのが判っていたので尻尾を焼いて準備をしておいてくれた。しかし、つまみ食いに来る者があって、尻尾の長さが少し短くなっているとコンサンが笑っていた。それを2cm位に切ったのを試食すると、結構美味しい物だった。上手に絵を描く実演もしていて、仲間の中にはその絵を求める人も数人いた。ブーメランを投げることも体験したのだが、腕の力の弱い私は、少しも飛ばず、後ろへ行かないだけましかしらと自分を慰めるのだった。

此処での観光を終えて飛行機でアデレードに向かった。着いたこの地は気温が24℃とかで、これまで暑さに悩ませられていた身には、とても快適な都市だった。空港に迎えに来てくれていたのは、初めて男性ガイドだった。この地迄、日本人がやってくるのは少ないそうで、ここが大好きだというこの42才の男性は公私取り混ぜて楽しい話をしてくれるのだった。この地でのことは真夏の国のクリスマスと言う項でブログに書いているので詳細は省くが、人口百万くらいで、教会の多い都市だった。

ホテルで夕食にキングフィッシュと言う鰤の仲間だというお魚のグリルを食べた後、クリスマスツリーを見に出かけたのだった。その帰途には、お小遣いが不足してきた人がカジノで両替をするというのにも付いていき、そーっとその雰囲気も体験してきた。

六日目は朝、オーバーランド号と言うオーストラリヤが誇る列車に乗るために駅に行き、メルボルンへの長い列車の旅を体験することになった。13時間の乗車になり、車内で食事を楽しんだり寛げる座席で話しも弾むのだった。夕方メルボルンに到着して、出迎えの女性ガイドと合流し、ホテルに到着。夕食は、海老とアボガドのサラダ牛のカツレツなどだった。夕食後、スーツケースに詰めるのには最後の夜になるということで、買い物に出かけ、私は赤のスパークリングワインを一本購入して、しっかりと包み込んで持ち帰った。これは、皆さんにとても評判の良いワインだったので、もう一本も求めてくればよかったなと後になって後悔をしている。でも、スーツケースはずっしりと重くなって、私は扱うのに困るので、まあ欲は出すまいとも思っている。

7日目の朝、メルボルン市内観光に出、セントパトリック大聖堂、カールトンガーデン、王立博覧会ビル、キャプテンクックの家等を観光した。また、市電のトラムに体験乗車もした。この座席に腰を下ろすと、とても高く、私の短い足がちょっと浮き気味になるのを感じて、この国の人々の体格の良さを実感するのだった。何でも世界で2番目にオデブチャンが多いとかで、女性でもすごく肥った人が列車の私達の前の方に座っていると報告もしてもらった。

昼食はパスタだったように記憶をしている。夕刻、いよいよ帰途につくためにメルボルン空港に行き、この地を離れ、シドニー経由で成田に戻って来た。この機内には日本女性の乗務員が乗っていて、翌日の朝食が必要か否かも聞いてくれた。これで、やっとビジネスクラスらしい気分を味わえたのだった。

「朝は和食を」と注文したのだが、朝には重すぎるメニューに少しばかり辟易して、今回の旅も終わりとなった。

この国を旅していてとても食事の美味しかったこと。特に野菜や果物が旬の味だったせいか嬉しかった。ある市場ではとても見事なマンゴーを目にして、「日本でだったら、云千円だわよ」等と話す私達の会話を聞いていてくれたのか、ガイドが昼のデザートの時にアイスクリームのトッピングにそれをのせてくれるように手配をしてくれたのも有難かった。多重国籍の国柄だろうか、いろんな国の料理もあってそれらがそれぞれ美味しかった。

強烈な太陽と乾燥した大気に肌の弱い私は少々トラブったが、その恵みによって産される食物、花等を充分に堪能してこの旅を終えることが出来たのだった。

2010年1月

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