モロッコ

〜体調不良を感じ続けた旅〜

加齢と共に海外旅行には自信を失っている私、これが最後の海外旅行になるのではないだろうかと話すと、旅仲間は、昨年もそう言ってたよ。酒飲みがお酒を「止める止める」と言いながら、止められないのと同じだろうと冷やかされた。このような心境の中、エールフランス航空機でパリを乗り継ぎ地点としてモロッコ入りをした。

 

迎えてくれたのは、日本に30年住んでいたというドリスだった。

カサブランカと言うのは白い家と言う意味だそうで、建物が白く塗られているらしい。何時もの事ながら、不勉強の私は、モロッコといっても何も事前勉強無しで、知っているのはカサブランカとサハラ砂漠、アトラス山脈程度しかこの国についての知識を持たずに乗り込んだ。このツア参加者は皆さん勉強家で、私の聞いたことの無い地名をポンポン口にして、話をなさる。私はすっかり恐れをなして、身を縮めると言った状態であった。

 

カサブランカ最初の宿泊ホテルが格式の高いホテルで部屋の中にドアが幾つもあり、私は方向感覚が全く分からなくなって、自分のベッドからトイレに向かうのにさえ迷子になる状態。とにかくドアの多い部屋にすっかり神経をすり減らしてしまったのだった。

 

こうした中からモロッコの周遊は始まった。先ず第1日目はカサブランカ市内観光。

専用バスで出発する前に、朝のカサブランカを散歩したのだったが、海に近い所為か「魚くさいな」の印象を受けた。

午前中、モスクや遺跡など周り、カスバの小さな市場も見たがお魚はぬれた布を敷いた上にディスプレイするように並んでいると言う。昼食後、首都ラバトへ移動。到着後、すぐに市内観光になりムハンマド五世の霊廟、ハッサン2世のモスク等を観光。その後、ホテルに入った私は、この遺跡やこの地の名前がどうにも苦手で、あまり記憶に残っていない。

 

第2日目、この日は世界遺産の多くを訪ねることになった。メクネスという市では王家の霊廟門等を観光。昼食後、ボルビリスの遺跡へ向かった。

この日辺りから私は疲労と食べすぎで、どうにも気分を悪くし観光を止めてバスに残ることを選ぶようになった。このホテルは連泊で、リゾートホテルのような感じであった。朝は小鳥の声がかしましいくらいに聞こえ、遺跡が下の方に望めると言った宿だった。

 

第3日目はフェズと言うこれも世界遺産になっている町に出かけた。ここにも有名な門がありメディナの中の観光だった。ここは迷路のように入り組んだ細い道に面して、皮をなめしたり、染色をしたりするお店、香料の市場、陶器のろくろを回しながら陶器を作る人たちが作業をしていた。できた製品を運ぶのに、道幅が狭いので驢馬や馬を使うので、これらの動物が通過するときには、人間がぴったりと側面にくっついて道を開けてやるといった迷路だった。足元自体も昇り降りがかなりあり、でこぼこの道なのでひどく疲れた。この狭い迷路の中の一つのレストランで食事をした。その後、次の王宮や霊廟を観光した。途中の民家でミントティーをご馳走になると言うスケジュールもあった。それにしても、民家は狭い階段を上がっての生活、足の悪い人は住めないのでは無いだろうかと思えるような住家だった。

 

第4日目、この日は長い移動の日になった。エルフード迄出かけるので途中何度か休憩を繰り返しての移動だった。ミデルドという町で昼食を摂った。走った道はアトラス山脈を越える道だった。この日の走行距離は約465キロだったと言う。何時間走っても同じ風景の連続だそうで、アパッチが出てきそうだと言う、感想も聞こえてきた。

 

第5日目 サハラ砂漠の入り口の村メルズーガへ、朝4時に出発するためモーニングコールが午前2時半だったろうか。5時には駱駝の背に乗ってサンライズを見学した。この辺りはブログに書いたので省略をしたいと思う。

サンライズを見てからホテルに戻り、朝食を摂り、カスバ街道を通って次のマディード・カスバに到着した。

ここで小憩後、トドラ渓谷に向かった。この渓谷は水が湧き出し岩山がそそり立っている中にレストランがあったように思う。ここで昼食を摂ったような記憶がある。

エル・クラア・ムグナに向かい、そこから本日の最終目的地ワルザザートに到着。

 

第6日目 世界遺産になっているアイト・ベン・ハドゥーのカスバへ移動。カスバの中でミントティー等ご馳走になった。次にマラケシュへ、約170キロの移動だった。ここも世界遺産に登録されている場所なので、市内観光。夜は、騎馬軍団のディナ付きファンタジアショウの観劇に出かけた。食事の後に始まった騎馬軍団のショーは迫力のあるものだった。騎馬が疾走する中、ドドーという火薬の爆発する音に私は驚いたのだが、騎馬は整然として動いているらしい。砂塵と火薬の硝煙が渦巻いているような感じで最後には花火も華々しく揚がっていた。これが終了して、ホテルに向かったのは真夜中だったと思う。ここも連泊のホテルだった。

 

第7日目 連日の不規則な就寝、早起きの行動に私はすっかり疲労して、この日のスケジュールはパスして部屋に残っていたと思う。みなさんは馬車に乗ったり、見世物をみたりして元気に日程をこなしておられたと思う。

 

第8日目 マラケシュよりカサブランカに戻る行程だった。250キロの行程だった。カサブランカに午後到着して、ホテルに落ち着いた後、再び市内のメディナ等を訪れた。ここで買い忘れたお土産品等を整え、夜は民族音楽等のショウを見ながらの食事だった。このカサブランカ最後の夜は、皆さんこの地のお金を殆ど使い果たし、夕食の際の飲み物代にも、事欠く者も居て、残り金を全部出せ等と脅迫?し合って楽しく食事を進めたのだった。

 

第9日目

この日の午前はゆっくりと荷物の整理などで帰国に備えた。昼にホテルを出て空港へ向かい帰途についたのだった。

 

ざーっと日程を追ってみたが、アンモナイトを触らせてもらったのは何処だったかしら?などとあやふやな記憶が頭を去来する。とにかく、疲れているのでメモをとる気力も無くしていた。ICレコーダーに入れたドリスの大きな声は割れて聞き取りがたかった。

今回の旅の記録は、公表しがたいものなのだが、そこは年齢によって許してもらわねばなるまいと自己弁護させていただく。

私の海外旅行としては、今回が前後泊を入れて13日間と言う最長の旅になった。しかし、ツア参加者が少なく、皆が、何処かで、何度か顔合わせをしていると言う間柄だったので、家族のように気心が分かり、長時間のバス移動の際も、車内で楽しく話が弾んだのも嬉しかった。

小人数なので、コルクの並木だと聞けば、「触ってみたい」と言う私たちの希望にも、すぐに応えてもらえる気安さ。疲れはしたけれど、楽しい旅でした。

出発前から今度の旅は、ボーっと過ごして「何も書かないわ」の心境だったのだが、矢張り、行ってきた以上は、うろ覚えながらと拙文を綴ってしまったのでした。

 

2008年5月

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