マルタ諸島

2010年の年が明けて、最初にしたのがパスポートの更新手続きだった。私にとっては4冊目のパスポートになるのだが「更新はもうしないでおこうか」の気持ちも強かったのだが「無くなると寂しいよ。更新はしておいた方がいい」という意見に従っての作業だった。

この新しいパスポートを使用して出かける決心をしたのがマルタ諸島への旅だった。417日、出発1時間前に、アイスランドの火山噴火でヨーロッパの空港が閉鎖となり旅は中止となった。そのリベンジとして、4月に企画されたそのままのスケジュールで11月に実施となった。

早朝、富山の空港から羽田へ、リムジンバスで成田へと向かった。リムジンバスの降り口に今回サポートをして下さる方とツアリーダーが出迎えて下さり、集合時間に少々の遅刻で旅は始まった。

先ずフランクフルトへのフライト。機内へ向かう通路を歩いていると、一人旅らしきドイツの老婦人が「日本が大好きで、来年、また来ますよ」と人懐っこく話しかけて下さる、「とても日本語がお上手ですね」と答えると「アリガトウゴザイマス」と返って来る。この時、私は今回の旅が楽しいものになるような予感を持ったのだった。

機内の私の座席は中央の3人席の真ん中。左側に介助をして下さる人、右側には家族3人でドイツへ行くという奥様だった。このご一家はどうやら私の息子世代とお見受けした。話してみると22歳になる息子を交えての一家の旅はこれが最後だろうと話してくださる。フランクフルト迄の長いフライトの間、この女性三人はすっかり意気投合しておしゃべりに興じたのだった。通路を隔てたシートの息子さんが「盛り上がっているね」と評して下さるほど、楽しいおしゃべりだった。

成田を昼12時半に出発して、約12時間のフライトでフランクフルトへ。乗り換えてマルタ航空の小さな飛行機で3時間足らずでマルタ・ルア国際空港に到着をした。時差は8時間遅れである。出迎えの現地ガイドに伴われてホテルに到着。ようやくベッドで寝ることが出来たのだった。

 

明けて、旅の第2日目、マルタ市内観光である。聖ヨハネ軍団の騎士団とナポレオン軍が戦った様子を演じている場所は、時折飛び上るほど大きな消炎をあげる。男性はドンパチと戦争ゴッコをするのが好きなんだなと思えるような観劇だった。

昼はピーマンの肉詰め料理、大きなピーマンだった。最初に出されたスープの中には米粒を横に太くしたような穀物らしき物が沈んでいて、唐辛子の種粒のような物も混じって、辛みと酸味の混じった複雑な味だけれど美味しいなと思ったのだった。

午後は何度聞いても覚えられない名前の神殿群をいくつか観光した。タルシーン神殿だったかな?

夕食は鯛のクリームソース添えだった。

 

3日目午前は、スリー・シティーズの見学。昼食はマルタ最大の漁村で、帆立、海老、烏賊のグリルを食べた。海老は殻ごと食べられるような料理で、美味しかった。

昼食後、ガイドの案内で少し歩き、市場で私は干しイチジクを買い込んだ。実は、モロッコ、オーストラリヤを旅した時に買った干しイチジクの評判が善かったので、今回も同じような品だろうと思い込んで買ってきたのだ。しかし、この国の干しイチジクは、これまでの物と少し違った加工の仕方をしてあるようだ。私は素朴にただ干しただけの物を想像していたのだが、この国の製品には当てが外れた感じを持ったのだった。

午後も多くの場所を観光して、夜はショートパスタの予定。しかし、私はそれをパスして、ホテルでゆっくり寛ぐことを選んだ。胃袋がもう食べ物はいらないというくらい満腹感が残っていた。

 

4日目は首都バレッタを中心にした観光で、賑やかな場所だったように覚えている。噴水も音楽に合わせて高く低く噴出をしているのを珍しく思ったのだった。

聖ヨハネ大聖堂の天井や壁面は、タペストリーというのかゴブラン織りの物で飾られていたようだった。賑やかな街中も散策をした。昼はビーフロールと言ってスコッチエッグのような物を肉で巻いてあった。美味しいのだが2個は食べられない。ガイドが日本人を多く迎える店だと一個のみ出すのだけれどと言っていたから、やはり外国人は大食漢が多いのだろう。

午後は考古学博物館や兵器庫、美しい庭園などを観光して夕食は中華料理だった。

 

5日目はフェリーに30分位乗って、マルタ本島の西にあるゴゾ島へ出かけた。

ジュガンティーヤ神殿、島を一望できる大城塞等を観光。

昼は蛸のトマト煮をメインにした料理だった。この蛸がまことに柔らかく煮てあり、これまで持っていた蛸に関するイメージを一新するような美味しさだった。

午後はカリプソの洞窟。細い暗い怖そうな洞窟だったので、私は入らなかったが勇気のある人たち数人は降りて見られたようだった。この辺りは赤い砂の海岸だった。奇跡の教会というところで、私は1ユーロの献金をしてお祈りをさせてもらった。これで、日本へ帰ってからも神様は助けて下さったように思う。

島内の観光を終えてマルタ本島に戻り、この日の夕食はフォルクローレを聞きながらということだった。しかし、私は疲れていて遅い夕食をする意欲が無く、この日の夕食もパスした。

 

6日目、マルタを離れる日であった。有名なマルタワインのワイナリーを訪れ、試飲などをした。

昼には、空港へ向かい帰途についた。

先ずフランクフルトへ向かう機内。私は試飲してきたワインのせいか、機内では眠りこけていた。搭乗をした時に「機内食が出ても私は欲しくないからね。」と介助をしてくれた人に告げていたので、かなりぐっすりと眠ったのだった。すると、私の左側に座っていた外国夫人が、とても気にしてくださって、「目覚めたときにお腹が空くであろうから、パンを残しておいてあげるように」と私の介助者に勧めてくれたそうである。この外人は宗教上の上で、この機内食の一部は口に出来ないのだとも言っていたという。こうしてフランクフルトに到着し、今度は成田へと日本航空の機に乗ったのだった。

往路は満席だったが、帰路の機内は空席が多く、私たちは二人で三席使用することが出来た。日本の飛行機は矢張り、日本語のアナウンスが必ずあるし、映画等も何本も用意され、長いフライト時間を楽しめるようになっている。往路と帰路で私は数本の映画を楽しんだのだったが、しっかりと見たわけではなく、ウツラウツラしながらの映画鑑賞だった。

今回私を介助してくれた人とは3度目のお付き合いだったので気心も知れ、ゆったりと旅を楽しめたのだった。特に英会話がとても達者なので、現地の人たちと気軽に言葉を交わされるのを聞きながら、記憶に残る私の数少ない単語から、話の内容を想像して楽しませてもらった。

地中海に浮かぶ島なので、坂道がおおかった。また、歴史的な世界遺産を数多く歩くので、日に12000歩以上は歩いたと思う。常日頃から歩くことを心がけていたなればこそ、皆さんについて歩けたのだとしみじみと思ったのだった。

 

その他、ブログでも「小さな国」として、思いつつままに書いてみました。どうぞ、ご覧くださいませ。

201011

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