13才の孫の書いた作文
平和

今年もまた、夏休みがやってくる。毎年、宿題をしたり旅行をしたりして過ごす夏休みだが、私にとっての夏休みはそれだけではない。この時期になると、いつも私に同じことを感じさせることがある。 それは今はもう歴史として刻まれている、世界が犯した大きな罪、戦争である。

 

8月6日、8月9日、8月15日。これらの日は、その時代が残した大きな傷跡だと私は思う。戦争ほど残酷で悲惨な出来事は無いのではないか。人間同士が憎みあい殺していく。何の罪も無い人たちが一瞬にして命を奪われる。目をそらしたくなる、余りにも悲惨すぎる事実を知り、命の重さ尊さについて考えられずにはいられない。

 私は台湾と言う異国の地に住んでいる。来たばかりの幼い時は、台湾のことを何も知らなかった。だから、台湾を好きになれず日本へ帰国することばかり考えていた。しかし、日本を離れて初めて見えてくるものがあることを感じた時から、そんなことは一切無くなった。きっと、台湾が日本の統治下であったことを知った時からだったと思う。そんな歴史を持っていながら、私たちが日本人だと知ると笑顔になって知っている日本語で話し掛けてくださる台湾の方々を素晴らしいと思った。そして、この地からあふれそうなほどの親切に感謝した。何て優しさと笑顔と言う言葉が似合う島だろうと思った。私たち日本人が住みにくいと感じることなんて一つも無い、温かい台湾を今は大好きだと自信を持って言える。

私は台湾を気候だけでない違う意味でも「南国」だと思う。しかし、そんな温かい台湾の方々もその歴史を知らないわけではない。むしろ、親や先生方から語り継がれとてもよく知っているのでは無いだろうか。そんな台湾の方々の姿を知ったとき人間が生きてゆく上での本当の素晴らしさを見たような気がした、台湾のお年寄りは、今でも日本語を上手に使うことが出来るし若い人も日本が関係していればすぐに関心を示してくれる。以前同じマンションに住むお年よりの方と話したことがある。その方は、あの時は厳しく辛かったけれど、日本人のおかげで得たものも沢山あった。私は日本人に感謝している。そして日本が大好きだと離してくださった。それを聞いたとき、台湾の方々の大きな誇りに涙が止まらなか

ったのを覚えている。そして改めて台湾の暖かさに感動した。

 日本に目を向けてみよう。まだ子供である私がこんなことを言うのは生意気かも知れないが、そんな温かさが日本人にはあるかと問われたら私は答えられないと思う。全ての日本人が冷たいとは言わない。しかし、最近の日本では、上の階の住人がうるさいと言って殺したり、ムカツクと言ってはナイフを振り回したりと言う事件が毎日のように起きているのでは無いだろうか。私はそれを知るたびに寂しさを感じる。戦争があった時代は物が無い寂しさがあったとおもう。しかし今は違う。恵まれすぎたために本当の優しさ、人間の美しい姿を忘れかけている寂しさのような気がしてならない、もっと自分たちが住む国、自分の母国に誇りを持って欲しい。台湾の方々のように。

 私が生まれる40年以上も前の出来事である戦争。しかし、それは今も地球のどこかで起こっている。たった今この瞬間にも何人もの命がなくなっている。わたしは、この地球上に住む人々が笑って幸せを感じる世界にしたいと、そればかりを願う。ある先生が私たちにおっしゃった言葉を今、世界中の人々に伝えたい。

 「皆さんが先生くらいの年になった頃には先生はもう60歳です。歯が抜けたヨボヨボのお年寄りを走らせて逃げなければいけない世界にしないで下さい。」そして私はそんな世界を作らないために、世界の掛け橋になりたい。次の世代へ語り次いでいきたい。何時か世界中が台湾のような、「南国」なることを願って。

 今年の夏休みも平和について深く考える機会となりそうだ。

 2002年夏

 

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