関門海峡

 

日本海を低気圧が北上して全国にメイストームの吹き荒れた翌朝、サンダーバードで西へ向かった。新大阪で山陽新幹線に乗り換え、鯛の形をした瀬戸物の容器に入った駅弁を食べながら約二時間で新山口駅に到着した。五月晴れの素晴らしいお天気だった。待機していた観光バスに乗り、一路秋芳洞へ走った

交通量の少ない従って信号もあまり無い道路状態を感じながら到着した秋芳洞は昔訪れた頃とは違い、バリヤフリーのおかげかスロープと階段で整備さていた。洞内をガイドの説明を聞きながら黄金柱を触ったり洞内に棲む蝙蝠が約三千頭で、それぞれが違った超音波を発していること、これからもドンドン洞内は開発を進めていくので又訪れて欲しいなどのガイドの説明を聞き、年中17度C位という洞内と地上を一挙に80メートルをエレベーターで上下した。台地のほうは時間が無くて、今回は回らなかったが、私は昔、ここで初めて馬に乗り、その高さに怖さを感じた思い出がある。

 

そこからバスは山口市へ向かった。インド洋と太平洋から打ち上げられた衛星の電波を受けるのに相応しいと認められたここ山口と茨城県にあるという国際電信電話通信を受けるパラボラ館を見学した。大きな杯のような形をしたアンテナが沢山配置されているようだった。屋内にはロケットを発射させる状態をモデル化した装置もあり、ボタンを押して、切り離しながらロケットが上昇していく様子を見ることが出来るようだった。

次いで国宝の五重の塔のあるお寺、私は不信心でお寺の名前などは覚えられないし漢字も分からない不束な者なので恥ずかしいのだが、ここの五重の塔は屋根のそりが非常に優雅で品の良い塔だと話して貰った。

そこから今度はフランシスコ・ザビエルの教会に着いた。これが丁度午後5時、教会の鐘が鳴り響き、かつて旅したベルギーやスイスの田舎町のホテルに泊まった時に時間毎になっていたものとほとんど同じように聞こえとても懐かしかった。

 

そしてその夜の宿泊する湯田温泉の宿に着いた。

二日目は今回のメインである下関海峡メッセで開催される第58回日本盲人大会に出席した。全国から2000名あまりの参加で会は盛大に行われ、来年の開催地は名古屋市と聞き、会場を後にした。

午後のスケジュールである巌流島へ船で約十分クルージングして到着した。今は埋め立てが進んで昔の島より6倍くらいの大きな島になっている。島にはプラスチックで作られた武蔵と小次郎の決闘の像が作られ、その観光客を迎える為に、下関から水を引いて公衆トイレを作るのに一億円かかったなどとのガイドの裏話などを聞いて島を後にした。

又十分ほどのクルーズで今度は門司港へ渡った。門司のレトロ街を歩いている時、ボリビアとペルーのストリートミュージシャンがひとりでにステップを踏みたくなるようなメロディを奏でているのを聞けたのも圧巻だった。普通、このような場合、小銭を入れる帽子などが置かれているはずなので聞いてみたが何も無いと言う。後でバスの中で聞くと民芸品が並べてあって、買って欲しかったようである。私たちは無料で彼らの演奏を聞いてしまったのである。この門司から関門トンネルを歩いて下関へ渡ることを楽しみにしていた。人道口からエレベーターで70メートル降りて、トンネルを約15分歩いて下関に着いた。今夜の宿は下関だった。夕食後夜景を見に出かけたグループもあったが私は遠慮した。

今回の旅の最終日午前中は下関市内を観光して地上百何十メートルとかいう高さから瀬戸内海、日本海遠くは玄界灘も望める景観を楽しんだ。昼食を下関のふぐ攻めの弁当で済ませ新山口駅へ戻った。新幹線の車両は修学旅行の学生で賑わい、私は通常若い人たちとの交流が少ないので彼らの今流の会話に耳を傾けながら帰途に着いたのだった。

2005年5月

 

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