イタリヤ

   イタリヤ、スイスへの旅

 障害者でも 単独で行けると言う このツアーの魅力に ひかれて 今回は イタリヤ、スイスへの旅に出た。

平成12年7月7日、季節はずれの台風にびくびくしながらの出発だった。

今回の参加者は37名 視覚障害、車椅子使用者などを含めての大世帯である

ミラノ経由でのローマまで正味13時間余りのフライトの後ローマ着。

第2日目は朝6時半に ホテルを出発してトレビの泉へ ホテルから500メートル位に有り5階建てのカラフルな建物に囲まれた直径10メートル位の大理石で縁取られた泉である。

中央には 噴水が上がっていた。前夜、到着したばかりの私は 未だ、イタリヤコインの持ち合わせが無かったので55円の2枚の日本のコインを 故事に習って泉に投げた。2枚のコインを投げると 再びローマに来られると言うのだが 願いは叶うでしょうか?

泉から又500メートル位 歩きスペイン広場へ。

ローマの休日で オードリー ヘップバーンがアイスクリームをなめながら登った階段を私も登った。

150段ばかりの登りやすい階段だった。

ホテルでの朝食後映画「終着駅」の舞台となったテルミノ駅へ。ここから列車でナポリへと向かった。

列車はコンパートメントで1室に3人掛けの椅子が向かい合わせになっている。

窓の外は 長めのトマトが実っている畑が延々と続いていた。

ナポリから専用のバスでポンペイの遺跡へ向かったが 当日 従業員のストライキで 中には入れずレスニア火山の中腹まで登ってソレント半島へ。バスの中では 現地のガイドさんが素晴らしいカンツォーネを聞かせてくれた。

第3日

カプリ島への観光だったがメインの青の洞窟には 波が高くて入れず1日を島内で過ごした。オリーブとレモンの実る保養地で枝もたわわに実ったレモンは日本で見る物より 遥かに大きい。レモネード、レモンスカッシュ、レモン味のシャーベットとアイスクリームの合いのこの様なジェラード等を楽しんだ。

勿論、イタリヤ料理もテーブルに並んだが私は体調を崩して 残念ながら食欲が無かった。

第4日

ナポリからローマのレオナルド ダビンチ空港へバスで移動しスイス航空でチューリッヒへ。小雨の降るチューリッヒは 肌寒く簡単に市内観光をしたがイタリヤとは すっかり雰囲気が変わって落ち着いた色調が 私の好みにあった。

私が触ったチューリッヒ湖の水はライン川に流れるとの説明を聞きながら 何時の日かライン川の水も触りに行きたいと思う。

駅から列車で温泉地バートラガッツへ向かったが 私の行ったヨーロッパの駅は階段の昇降が全くないことにきづいた。

どの駅もホームへすぐに出るのだった。細目の点字ブロックが敷かれて歩きやすい

第5日

午前中は温泉センターでたっぷりくつろいだ。

この日の為に 何十年ぶりかで新調した水着で 童心に帰ってお湯遊びを満喫した。

午後は2頭建ての馬車を5台連ねてアルプスの少女を執筆する為に モデルとなった村へ出掛けた。

村内の散歩道を歩きながら野生の林檎や木イチゴ等をかじり、カウベルを付けた牛が あちこちでからんからんと長閑な音をさせている。

今回の旅行で1番くつろいだ日になった。

第6日

バートラガッツから列車でチューリッヒに戻り乗り換えてローザンヌへ移動した。

琵琶湖ほどの大きさのレマン湖のほとりを専用バスで走り オルゴール博物館では 爽やかな音色の数々のメロディーやオルゴールの歴史などを聞き ヘップバーンの愛した村に有る記念館、お墓等に寄りチャップリンの銅像や家なども見て回った。

この夜はローザンヌに泊まった。

第7日

フランス新幹線で列車での国境越えを体験した

フランス新幹線は 国内を走るのと国外へでてくるのとでは室内の座席の配列が違っていた。二人掛けと一人掛けの間に 通路が有った。

昨年同様パリ祭で賑わうリヨン駅に到着してセーヌ川にかかる芸術橋を歩いて渡った

この木の橋の両側の欄干の下にシートを敷いて地元の人たちがピクニックを楽しんで居た。

何を食べて居るのかと尋ねた私の為に、介助者が覗いたので2センチくらいに切ったケーキをお裾分けしてくれた。

とても 美味しく、自家製だと言う。

夜は生牡蛎等の海産物の盛り合わせをたっぷりと食べてパリ祭の夜は更けた。

第8日目

午前は自由行動なので昨年来友になった4、5人でセーヌ川の遊覧船に乗った。 今年のパリは異常気象とかで川風は 震えるほど寒かった。そして 其の夜の日航機で帰国した。

この度の旅行でも いろいろな事を体験したがイタリヤの紙幣だったろうか お札の隅に直径1センチ足らずの丸四角、それぞれの中にちょんちょんと点の浮き出たのは 点字の苦手な私にも 容易に認識出来た。

又、6頭参加した盲導犬の内、1頭が使用者とのコミュニケーションが上手くいかなかったせいか 体調を壊して 盲導犬の役割を 果たすことが出来ず、おむつをして同行し、周囲の人にかなりの負担を掛けて居たようだった。

今、旅の余韻を楽しみながら 次回は何処へ、出掛けようかと考えている。

 

2000年8月

 

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