フランス

 

南フランス旅行

 

 1999年1月に 夫を見送った私は7月トラベルボランティアの介助を受けて南フランス旅行に出発した。このツアーの参加者は16名 内視覚障害者派7名でトラベルボランティアの利用を希望したのは3名 後の視覚障害者は家族、ヘルパー、マラソンの伴走者の介助を受けての参加だった。

トラベルボランティアとは旅費の30パーセントを利用者が支払ってエアポートからエアポート迄の介助を受けるシステムです。

私がこの旅行で1番心配をしたのは羽田から成田の 其の夜の宿泊ホテルへ一人で行く事だった。

ところがこれは案外スムーズに全日空の係員のお手からお手への介助で行く事が出来た。

第1日

朝、ホテル内で飛行機への荷物のチェックインを すませて体一つで空港へ集合し初顔合わせをしたボランティアと飛行機に搭乗した。

この際リーダーの指導で旅行中、同じボランティアとずーっと一緒ではストレスが溜まるだろうから2日ずつで交替をしようと言う約束になった。

お天気は上々新潟上空からロシア、モンゴル、スカンジナビア半島の上を飛び 下ってオランダベルギー等を越えてパリのシャルルドゴール空港へ12時間近いフライトで到着をした。

時差は7時間 機内食を2度と軽いおやつを1度食べた。

ここでニース行きの国内線に乗り換え機内で簡単なサンドイッチのサービスを受けてニースに到着をしたが一行の荷物の内5個が到着せず問い合わせなどで手間取りホテルに着いたのは現地時間で深夜12時近かった。

第2日

朝6時45分に鞄を出して朝食をとり7時15分にはホテル前からバスでニース港へ移動してコルシカ島へのフェリーに乗船4時間の船旅でバスチア港に到着したがフェリーからのニース港の眺望はとても素晴らしいとの事だった。

入り江に沿って煉瓦色のプロムナードロード、車道、みどりの木々に囲まれた赤い屋根の白い家、それがずーっと山の上まで続いているという。

コルシカ島は四国の半分くらいの面積で 私にいわせれば逆三角形の形で右斜め上にバスチア港があり昼近くに到着をした私達は観光地によくあるお猿の電車の様なトロッコで簡単な市内観光をしてコルシカ鉄道に乗った。この鉄道は島を斜めに縦断するように走ってアジャクシオ迄通じている。

電車内では昨日の睡眠不足で眠りこけていた私が 子供達の蜂の巣をつついた様な騒ぎで目を醒ました。

林間学校へ行くため途中から乗り込んだ10歳前後の子供達が盲導犬が珍しくて 大騒ぎとなり我々一行の一人が写真を撮って上げそれを送るという話になった時に 口々に名前を言い出しての騒ぎだった。

 

第3日

アジャクシオの朝は早朝散歩で始まった。

希望者7、8名でホテル前庭の満開のキョウチクトウの咲き乱れる中をとうり抜けて砂浜に出た。

世界の人の憧れる保養地で歩きにくいビーチを歩いていると2頭の馬を連ねて散歩を楽しんでいるレディに出会い仲間の一人が「ボンジュール」と話しかけたが彼女たちはつんと済まして通り過ぎて行った

何故かその時私は月の砂漠を連想してしまった。ラクダでは無くて馬だし王子様王女様では無かったが馬の足下を見ながらふっとそう感じたのだった。

朝食後、綺麗な花、果物、ぴんぴんはねるロブスターの並ぶ市場を回りナポレオンの生家を訪ねいろいろの説明を受けた。

昼は海辺のレストランでムール貝のグリル焼き、ロブスターなどの食事をとり 午後は青い実をつけ始めた葡萄畑の側にあるワイナリーで試飲をして気に入ったワインを1本お土産に貰った。

そして飛行機でニースに戻った。

ここで届かなかった5個の荷物を受け取る事が出来た。

私の鞄は到着していたので不自由は無かったが 鞄の無かった人たちとは助け合いの精神で過ごした。

バスガイドの言葉「フランス旅行は、あわてず、焦らず、諦めずの精神で」と言っていたのが印象に残る。

第4日

バスでエズ・アンチブ等、日本で言えば名所旧跡に当たる城塞の場所を回り午後はピカソ美術館、ナポレオン博物館等を見学した。

昨晩と今晩はバンス泊だった。

第5日

ラベンダー畑とひまわり畑を探しながらバスで周り、見渡す限りのラベンダーの満開の花を充分に楽しみ午後は香りの街グラースで香水を作ると言う体験をした。

勿論、私達がスポイドの様な計量器でミリグラム単位の計量が出来る訳は無いので介助者に計って貰っての作業だったが正確には介助者達も計量出来ず各自が違った仕上がりの香水を手にした。

この日と次の日はエクスプロバンス泊だった。

第6日

午前はセザンヌのアトリエ等を訪ねて午後はエクスプロバンスの街で自由行動となったが私の介助者がフランスの美容院へ行きたいとの希望が有り私には一般参加の女性が介助をしてくれる事になった。

彼女はフランス語が話せて頼もしい介助者となってくれた。

出発前からお土産はポプリにしようと決めていた私に「蝉がこの地方では幸せを運ぶと言われているのよ」と教えてくれ私は蝉の形をしたポプリを沢山買ってきた。

ここでホテルへ帰るため盲導犬を連れたご夫婦とタクシー乗り場に行ったのだが犬は乗せないとの乗車拒否です。何人もの運転手に拒否され私の介助者がポリスに聞いてくると警官の所へ行ったが「運転手が嫌だと言うのなら駄目でしょう」との返事で途方にくれていましたが彼女がようやく一人の運転手を捕まえて帰る事が出来た。

「運転手に、なんて言ったの」と尋ねると「自分たちは疲れてもう、動けない」と言ったのだと言う。

第7日

セザンヌの生家に立ち寄りマルセーユ迄バスで行き、魚市場、編んだニンニクをいっぱいぶら下げた屋台が立ち並ぶニンニク市等を見学して昼近くフランス新幹線TGVに乗りパリのリヨン駅に着いた。麦畑と牛の放牧地が続く中を走って フランスが農業国で有ることを実感した。

パリ祭で賑わう街中のホテルにつき近くの中華レストランでさよならパーティをした後、移動遊園地でネオンに飾られた大観覧車にパリジェンヌ達と一緒に乗り花火等に歓声を上げた。

第8日

昼前は自由行動で 私はホテル近くの商店で少しばかりの買い物をしたが片言の日本語を話す女店員にチップを要求され5フランコインを1個あげるともう1個欲しいと言う。それに応じるとエッフェル塔のキーホルダーを白杖の持ち手につけてくれた。

パリ最後の昼は この旅ですっかり気に入ったモナコビアーで簡単に済ませバスで市内観光をしながら空港に着き午後8時発の全日空機に搭乗した。

第9日

12時間近いフライトの後、午後3時近い成田に到着してツアーは 解散をし、私は渋滞に巻き込まれたリムジンバスにドキドキしながら羽田発の最終便の富山行きに間に合った。

美味しかったフランスパンや生ハム、チーズ そして小説やエッセイに登場する土地に自分の足で立つことの出来た幸せをかみしめながら無事に我が家に戻ることが出来た。

 

1999年9月

 

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