訃報

今年も何人かの訃報に出会った。多くは知人の姑や配偶者が多いのだが同期生と言うのもボチボチ混じる。私自身は常に七十になったら何時召されても良いように身辺整理を始めなければの思いが強く、少しずつ心がけてはいるのだが、思うようにはいかないのである。

そこでつい、先日葬儀の際に喪主が故人は幸せな一生だったとの言葉を残して逝かれた話をなさったのを聞いて羨ましくなった。

私自身も幸せな一生を送れたことを感謝して逝きたいのだがそれを述べる時間のある状態で旅立つことが出来ればいいのだが、意思表明の出来ない状態で旅立たねばならなくなったら困るのである。

そこで今のうちに我が心境を残しておきたいと思う。

私は障害を持つ身にはなったが周囲の人たちに恵まれ幸せな時を送れることをとてもあり難いと思っている。勿論、見えないことで不自由を感じることは多いが平凡な主婦で終われば知ることの出来なかったであろう事や大勢の人と知り合うことが出来た。いわゆる見えなくなって、見えてきたことが多くなった。その人々に支えられて生きている私を見て、とっても幸せな人だねとの言葉をかけてくれる人が多い。他人様から見ても障害者である私が楽しそうに暮らしているのが好ましいと言ってもらえることは惨めな生き方をしていると言われるよりはるかに嬉しい。私自身どのような終末を迎えることになるかは全く予想できないが、ベッドの上で動けなくなるまでヘルパーの力を借りて、現在の生活を維持して行きたいとの強い願いを持っている。ベッドから動けなくなった時には何処かの病院のお世話にならざるを得ないだろうがその日まで現状を維持して行きたい。そして私の願いは、あまり長生きはしたくないのである。まだやりたいことがいっぱい残っていて生きて行きたいのにそれが叶わず残念だとの思いを持つ人が多いらしいのを、見るにつけ、私は代わってあげられるものなら代わってあげたいと思う。でもこればかりは、思うようにいかない。西行法師のように「願わくば、花の下にて・・・」と希望するときに逝けるならどんなに幸せなことだろう。

私の現在の願いは八十路にかかる前に旅立ちたい。

200411

 

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