香港

(旅の思い出) 

 

おばさんの、どじな旅日記です。

 

時は昨年4月。返還前で賑わう香港旅行のツアーに参加しました。

それまで海外は割と遠い国、南欧、オーストラリア、カナダ、米西海岸と出ており、その度に緊張感を持って心の準備もしっかりとして出国したのですが、今回はアジアで、しかも期間も3泊4日、まして地元の空港から出国出来るとあってすっかりリラックスし、従来の大きなスーツケースではなく小型の可愛いショッキングピンクの物を新調して、るんるん気分で機上のひととなったのです。

 

この問題の鞄を買った際、店員がロックの仕方、数字の合わせかた等を説明し始めたのですが、「いいの、私、目が悪いから数字など触りません」と説明をよく聞かなかったのが、そもそも間違いの始まりでした。

 

花冷えの富山から一気に、湿度90パーセント気温24度とむっとするような香港の人となった私は、広東料理を食べ、その夜の宿泊ホテルに着きました。

部屋には私より一足早く到着した鞄が待っておりましたが、その鞄を開けようとしても鍵はかちっと開くのに蓋が開かない・・・。

同室となったおねえ様は冷たく「だから私は鍵のかかる物は嫌いなの」とリュックを開いて寝る準備です。

 

焦った私は機械に強そうな人を探しに廊下に出てやっと一人見つけて鞄を見てもらいましたが、「ああ、これは数字が合わないと絶対に開かないよ」と宣言され、がっくりしてしまいました。

 

自分では触らないつもりの数字が、私の手元を離れている間に勝手に動いてしまっていたようでした。

その夜は、まるで難民にでもなったような気持ちで、着のみ着のままベッドに入ったのですが、眠れる気分ではありません。

プロの泥棒さんを雇って来る方法はないかしら・・・、などと考えながら朝が来るのを待ちました。

朝になって私は、同室者に、国際電話を掛ける番号を探してもらって、あわててダイヤルしたのですが、そのとたんに「ぺらぺら」ときました。

そうです、家から国際電話を掛けるのとは違って交換を通さねばならなかったのです。 とっさに日本へ電話を掛けたいと言う英語が出てこず思わず日本語でその旨を言いました。

すると「国際電電つなぎますか」と妙な発音が聞こえた時はほっとしました。

 

さあ、これからがまた、大変です。縦の物を横にもしないというほどではないけれど、まったく捜し物など苦手な、寝ぼけまなこの留守番役の相棒に、スペアキーのあり場所を説明して何か数字が書いてないかと探してもらいました。

寝ぼけまなこの留守番役が答えた番号は、なんと「000」だったのです。

おかげで、やっとその鞄の蓋を開けることができました。

 

かくして私は気分を直し、日本語の巧みなガイドさんの案内で楽しく観光を終えて、無事帰途についたのですが、機内食が終わった頃、「香港に引き返します」というアナウンスでまたまた香港へ逆戻り。

そこで待っていた代替機に乗り換え、3時間遅れで帰国したのですが、今度はターンテーブルの故障で荷物が出て来ないというトラブルに巻き込まれ、結局帰宅したのは予定より4時間遅れの、さんざんな旅行となりました。

 

おっちょこちょいなおばさんの、香港旅行でした。

 

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