グアム、サイパン

 

甘くなかった船旅

年を取ったら船で世界旅行をしたいものだ、と長年、憧れていた。

200612月出発のグアム、サイパン ニューイヤークルーズの話を聞き、これなら手軽に、ちょっと行けそうだと申し込みをしたのだった。が、これが甘い考えだった事を、後から思い知らされた。

 

1228日、発達した低気圧で、日本近海は荒れていると言うニュースを聞いても、大型客船はそんなに揺れないのだろうと出発をした。雨の富山空港だったが、これは雨女の私のことだから、「雪でないだけましだわ」の思いだった。着いた羽田は、日本海側の暗さと違って、太陽の光が煌く晴れ、お日様は暖かいなと感謝した。

 

横浜の国際大桟橋に接岸している日本丸に到着したのは、ツア仲間全員が乗船した後だった。案内された船室で今回、サポートをお願いする人と初顔合わせを済ませ、11時出港のセレモニーに参加した。ドラが鳴り、お祝いのホットシャンパンなど飲んで、テープを岸壁めがけて投げるが、風に流されて、岸壁に届く人は少ないようである。

 

船内での、初めての昼食はブイヤベースに始まりパンプキンタルトで終わると言うフルコース。ご機嫌だったのはここまでで、午後の船内生活のオリエンテーションが始まるホールに集合した頃から東京湾外に出た船が揺れ始めた。乗船してすぐに酔い止めの薬を1錠飲んではいたが、お話が進むにつれて、私の気分が悪くなる一方である。そして、即効性の酔い止めの一本1000円の注射があるとの事に、お願いをして肩にその注射を受けた。

 

湾外に出た船は揺れながら進む。夕食になったが、酔いの為食事をパスする仲間も幾組かあった。私は注射のお陰か、どうにか夕食は済ませることが出来た。

 

船内では揺れのため、大浴場は休止との案内があり、早々と寝る事にした。深夜、大きな音に目覚め、机の上から物は落ちる、床に置いたものは倒れるといった状態で、熟睡などできるわけが無い。

 

1229日、ともかく朝になり、船長のお話では、台風並みに発達した低気圧で、瞬間風速25m、最大波の高さが6mもあったという

乗船して24時間以内に、避難訓練をしなければならないとの規則があるそうだが、翌29日、未だ船は大揺れに揺れているので、訓練は翌日に延期するとの案内があった。

 

私は半病人で、ベッドに寝たまま、お腹の上に置いた物で作業をする状態。縦にはなれないのである。俯けば気持ちが悪くなるので、日本丸病院へ入院に来て、絶対安静を保っているような感じだった。

 

どうやら、お昼過ぎには波もおさまってきて、その夜の船長のウエルカムカクテルパーティに全員が参加できた。ここで、私は、ジンとウオッカをベースにした2種類のカクテルを飲んで、ディナー会場へ。昨日夕食をパスしたツア仲間とも歓談を楽しむ事が出来たのだった。

 

1230日、ようやく緊急避難訓練があり、救命胴衣を着用して、笛や小さなペンライトの使用法などを体験。その後、楽しみにしてきたダンス教室に初めて参加をしたのだった。でも、揺れはあるので、シューズは、ヒールの無いベタ足のもので参加をした。

 

午後は、船内の餅つき、杵に手を添えてもらって私も参加。これはお囃子の伴奏つきの餅つきで、つき上がったばかりの餡餅、黄な粉餅、おろし餅などを賞味して船内の行事を満喫した。勿論、その後は、フィットネスの教室に出かけて、食べたお餅のカロリー消化に努めたのでした。夜に弱い私は、午後10時半から始まるダンスパーティなど、とんでもないことだった。

 

1231日、私は、もうかなり疲労困憊で、何時もはステップを踏むのが大好きで、軽やかに(?)踏めるはずのステップが苦痛に感じられる状態。午後は、リラクゼーションのマッサージとアロマテラピーのオイルマッサージを受けて、ようやく、年末のカウントダウンの行事に参加が出来たのでした。

 

そして新年。昨夜接岸したグアムでのオプショナルツアへ。勿論、朝食には丸餅のお雑煮を頂いてのことです。

グアムは風が強く、時折、ザーッと雨が降るお天気で、午前は恋人岬などの観光地を訪問。お昼はリゾートホテルでの食事だった。午後は免税店などでのお買い物。夜は船内での食事だった。

 

船はグアムを離れて、サイパン島へ。これが又揺れるのである。湾外に出ると揺れる揺れる。二日のサイパン島の港に接岸するまで揺れていた。

朝、8時に接岸して半日のオプショナルツアで島内を回ったが、この辺りは12月から3月頃まで、風が強いのだそうで強烈な太陽の下でも帽子は飛ばされそうでかぶれない。あの悲惨な戦争の跡のバンザイクリフ、ラストコマンドポスト、バードアイランドの観光を終えて船に戻る。昼食は船内でした。無人島への観光に出かけた人たちは、日焼けで痛いと言いながらも、海を満喫なさったらしい。

 

12日の午後5時、サイパン島を離れる時には、フォークダンスのようなダンスをデッキでして、見送りの人たちに手を振って出港した。

湾外に出ると又、揺れます。夕食の後で、新年祝賀会があったのですが、暑さに弱い私は、外界の暑さと、船の揺れで、とてもその気になれない。

 

13日はようやく、小笠原諸島の間を航行して、波も穏やかで、船の揺れは少なくなった。鯨やイルカが泳いでいるのが見えるという。この日、初めて私は持参したヒールの高いダンスシューズで教室に参加をしたのだった。船客は年配のご夫婦や家族連れ、単独の人などさまざまで、私にダンスのお相手をしてくださった方も、ご年配と受け取られた。

午後、江戸祭り式太鼓の教室に参加して「テン テレ ツクツク テン スケ テン イヤ」の口三味線に合わせて太鼓を打つことを教わりました。夜は、やっと新春初笑い寄席の桂 米多朗という真打の落語を聞く元気が出ました。

 

1月4日はもう荷物の準備をしなければ落ち着かない私。午前はダンス教室へ参加した後、船内のラウンジでスープを楽しみ、荷物の整理。午後はスポーツマッサージを受け、最後のフィットネス教室へ。夜はお別れのカクテルパーティ、フェアウエルディナーと更けていったのでした。でも、又揺れたんですよ。大浴場が休止の状態でしたからかなりの揺れだった。

 

翌5日下船の日です。午前にスーツケースをドアの外に出し、最後の船内生活を楽しんで午後4時に下船準備に入り、ようやく横浜港に上陸した。船内で、羽田迄のタクシー予約をしておいた私は、高速道路を使うので、20分位で羽田に到着してしまった。午後8時発の富山への最終便まで、約2時間もある。全日空のお手伝いをしてくれる人に、レストランの片隅に座らせてもらい、出発時間間近に迎に来て貰う様に、お願いして軽いサンドイッチとコーヒーで時間を過ごした。しかし、あまりの時間がたっぷりなので、船内で教わった和太鼓のリズムを復習しながら過ごしたのでした。

 

かくして私のニューイヤークルーズは終わったが、全く、自然の厳しさを思い知らされたクルーズだった。快適であるべき船内生活が、非常に苦しかった。先ず、大浴場がすぐに休止になるし、使える時間は、ワーッと大勢押し寄せるのでラッシュアワーのような状態。キャビンのシャワーは揺れるときには危険だし、使い辛い。汗をかいたらすぐに流したい性分の私は我慢をするのが苦手である。大好きなダンスをたっぷりと楽しみたいとドレスも何着か持参したが、それを着る気持ちにもなれない状態だった。船内を一人で歩けるほど熟知をしてないので、どうしても人の手を借りねばならない。キャビンには、玩具のお金があって、それを持参してカジノやゲームを有効に楽しんでいる人も多かった。しかし、何も知らない私達は、一枚のお札も使うことなく終わった。

 

私にとって、いろいろと服装などに注文のある船旅は向いていないなとつくづく感じたのでした。旅は、矢張りTシャツにGパンで気楽に行けるのが良いとの思いを強くした旅でした。

 

2007年1月

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