出べそ

 

「出べそ」身軽によく外出をする人のことを「出べそ」と表現するのだと言うのを私は、最近知った。これまでお付合いをしてきた人たちとの会話の中でそのような言葉を使う人は誰もいず、全く初耳の言葉だった。

それを教えてくれた人に言わせれば、私は大いに「出べそ」なのだと言う。誘ってくれる人があればほいほいと出かける。

先日は除雪の済んだ立山の雪の大谷へ高原バスで行くツアに誘われて参加をしたが、これは天候が悪く、とても外に出れる状態ではなかった。山でお天気の悪いのはなさけない。折角、室堂まで行きながらお弁当を食べるだけと言う仕儀だった。

次は、日盲連の全国大会に参加をすることを名目に箱根、伊豆方面へのバスツアに参加した。二泊三日の旅立ったが最初の二日間はこれも雨にたたられ、折角の富士山が顔を表せてくれないようで、霧と雨の中で新緑の美しさが際立っているばかりであった。最後の日にちょこっとお山が顔を見せてくれたのは嬉しいことだった。河口湖の近くでの茅葺の農家を移転してのレストランで囲炉裏を前にし、焼きながら食べたウズラ、お肉、スイートコーン、その粉で作ったお団子、こんにゃくや油揚げの田楽、それとこの地方の名物ほうとうは美味しかった。

小田原での大会終了後に走った伊豆半島での「浄蓮の滝」の水量の多い見事さ、そこへ降りるまでの急な坂道、不規則な石段も印象に残る。

ペリー来朝100年を記念しての下田祭りに出会い、夜の音を発して揚がる花火の美しさも旅情あふれるものだった。沢山食べた石垣苺も美味しくはあったが少し水っぽいように思えたのはビニールハウスでの栽培のせいだろうか?

帰途は東海北陸自動車道と言う日本一標高の高いハイウエイは新しいせいもあり気持ちの良いドライブだった。

それから一週間後の土・日に島尾の民宿へお魚を食べに出かけた。これは気の置けない仲間からの誘いでJRを利用して高岡からは私一人だったので緑の窓口でチケットを求めた。これが整理券を取って行列に並ぶようになって来たのを知らず、その辺りに居た人に教えてもらい番号も聞き、それを窓口の職員が読み上げた時にやっと目的を達することが出来た。氷見線のホームで仲間に合流して、初めてほっとした。宿泊した民宿は狭く、それ故私にも何とか行動ができるのだが仲間とワイワイ言いながら楽しい食事をした。新鮮な魚はやはり、富山湾ならではのものである。

こうして「出べそ」ぶりを発揮している私は次回は8月初旬にイギリス周遊の旅を心待ちにしている。

2003年 5月

 

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