奄美大島

 

大寒の最中に、暖かさを求めて申し込みをした奄美大島への旅が、実際に実施されたのは三月の半ば、北陸にもようやく暖かさの感じられる頃だった。

羽田から日航機で奄美空港に着いた日は雨だった。

島のバスガイドの説明によれば、奄美は一月に35日雨が降るのだと言う。

 

最初の訪問地は、あやまる岬と言う。御免なさいの謝るではなく。方言で「あや」と言うのは模様のこと。ゴムマリの無かった時代に、紬糸の残りなどを硬く巻いて作った手毬。その手毬のように海に浮かぶ島々が美しく見え、岬自身が鞠のように丸く見えると言うことから名付けられた奄美十景の1つと呼ばれる場所だった。

晴れていれば喜界島も見えるのに残念だとの案内だった。

 

晴眼者にはお気の毒なことだったが、スイームレス(視覚障害者)の私などは足元が悪いのが気になるだけである。奄美大島は佐渡についで大きな離島で、鹿児島から380キロ、沖縄から300キロ離れた島である。温帯と亜熱帯の境目に属するので植物が入り混じって茂っている話など聞きながら、郷土料理の鶏飯のお店に着いた。

これは鶏を細かく裂いた物や錦糸玉子、椎茸等5種類の具をご飯の上に載せ、たっぷりの鶏ガラスープをかけて食べるお茶漬けと言うべきか、おじやと呼ぶべきか要するに汁飯だった。

漬物はパパイヤ。この地方ではパパイヤは果物としてではなくて、未熟な物を野菜代わりに炒めたり漬けて食べるとのことだった。

 

昼飯の後はハブのショー。というべきか陳列された場所でその生態等を面白おかしく説明されるのだが、私は長い生物は生理的に大嫌い。ぞくぞくするので見えなくて良かったと、この時ばかりはスイームレスであることを感謝したいくらいだった。

 

雨の中を奄美民族館へと移動して島唄等を聞き、砂糖黍の生ジュースを飲んだりした。その中でも、モンキーバナナの花を触らせてもらったのが印象的だった。紫色と言うこの花は、ぽってりとした感触のかなり大きな花だった。パパイヤもバナナも年中出来るのだと言う、冬が無くて秋からすぐに春になるこの島は果物の種類も多いようだった。

 

この場所で、島唄等を聞かせてもらい、雨の中を大島紬の作られる場所への移動、絹の糸を、泥で染めながら模様に織り成していく過程をつぶさに見学した。

この島の土は鉄分が多くて稲作には適しないのだと言う。この鉄分が独特の色をかもし出すとのことで、織られた品や、近頃では和服としての需要が少ないので、他の品、例えば洋服のジャケットやコート、スカート、ベスト等に加工されている製品をいろいろと鑑賞した。もちろん小物、お財布や扇子入れ等、お土産として求めやすい品々の加工品も多かった。

 

夕食は飲み屋を借り切っての島唄を聞きながらの食事だった。島のコンクールで優秀な成績をおさめたという小学生二人も加わっての演奏だったが、私としては、伝統芸能を保持して行くためとは言え、このような小学生を、夜の飲み屋へ出演させるのはいかなるものかなと感じたのでした。

 

奄美大島、第2日目は、この島の産業、黒糖焼酎の製造所へ。米を蒸す匂いと、黒砂糖の甘やかな匂いの立ち込める場所で働く男性は、総て、上半身は裸だと言う。汗をかくので、1枚でも着ると、かえって風邪を引くので、裸のほうが働きやすいとの話だった。使用される粒子の細かな黒砂糖の一片を賞味したり、38度と言う原酒を味わわせてもらって、次なる金作原原生林へ向かった。

 

ネイチャーガイドの男性から原生林と原始林の違いなどのガイドを受けながらこの保健保安林の林道の散策に入った。バスを降りてまず土の感触が軟らかなクッションのように感じられ、小鳥の鳴き声の多さに感動しながら林道に踏み入った。雨が多くて温暖なこの地方の樹木は育ち放題と言った感じで、枝が互いにからみあって、日光を遮断している。空気はひんやりと美味しい。われわれの見慣れた温帯の樹木に混じって亜熱帯の樹木も育ち、ネイチャーガイドの言うように森はブロッコリーのようであった。湧き出る水も軟水で、岩間から流れ出る水も味わった。

 

昼は奄美御膳という長寿食を頂いたが、ご飯から汁物迄、総て、到着前からセットしてあり、私は熱いものは熱く、冷たいものは冷たく食べるのが、最大のご馳走と思っているので少し残念だった。

 

食事の後が今回私の1番の希望だったカヌー体験である。これはブログの方にも書いたので、詳細は省略するけれど楽しい経験だった。マングローブパークの川を上下した。

 

第3日目はカケルマ島(加計留間だったでしょうか)へフェリーで移動して島内を観光した。大戦の時の戦跡跡横穴が掘られて震洋艇を保管していたと言う中の一つに本来は木造だったと言うその艇を金属で作った物が陳列してあった。こういう、情けない日本の戦争の跡は悲しいですね。

 

島尾 敏雄という作家の文学碑を訪ねたのですが、この人は海軍として最後にこの島に居たという経験で書かれた作品が多いらしかった。今まで、私は知らなかったので、機会があれば読んでみたい気持ちをそそられたのでした。

 

カケルマ島ではデイゴの並木を歩いたり、砂浜で珊瑚を拾ったりとのんびりした時間を過ごして、奄美本島に戻り、昼はちゃんこ鍋の食事だった。これを最後に帰途に着いたのでした。

 

今回の旅は参加者が多くて、いつものこのツアの雰囲気とはかなり違うものだった。首都近県のグループが団体で参加をしていて、これが乗り物の中、食事の場所等、団体だけで盛り上がって楽しんでいられるのは良いのだが、このツア本来の味を知っている我々としては少々がんじえない場も少なくは無かった。

 

奄美大島自体も多くの観光客に対応の出来る食事場所等が少ないのだろう。40名近い団体客は貸し切りのお店での食事が多かったが、総て、靴を脱いでのことなので、視覚障害者には、少し酷なのである。履物を間違えてトラブルといった場面もあった。食事はすでに並べられ、サービス面での問題もあったように思う。

 

ドライブインやサービスエリヤ等が無くて、道路の道幅の関係で中型バスでの移動は、これから増えるであろう観光客に対してはどうなっていくのでしょうね。

 

いろいろと感じることの多い旅だったけど、あの自然の森の様子は何時までも心に残るだろうと思ったのでした。

2008年3月

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