アイスランド

 

寒さに、震えた国

 

ここ数年、日本の夏の暑さを避ける旅を望んで、参加してきた。

そこで、この夏は、北極圏に近いアイスランドへの旅を希望したのだった。

元来が不勉強の私は、この国が、日本の三分の一程度の広さで、人口は約30万人、出かける季節は、東京の四月下旬程度の気温で、朝が5℃くらいまで下がる程度の知識しか持たずに出発したのだった。

成田からコペンハーゲンを経由して日本との時差が−9時間のこの国の首都レイキャビックに到着した。長い長いフライトだった。出向かえてくれたのは、この国に33年間住んでいると言う、声の若々しい男性だった。

湯煙の美しく漂う湾と言う意味の、首都レイキャビックのホテルに三連泊して、この国の観光は始まった。第一日目は市内観光から始まった。

この国は湧き出す温水が豊かで、暖房や家庭内の使用温水もパイプで給湯され公害のない奇麗な空気の国などの説明を受けた。

国会議事堂、米・ソが始めての会談を持った迎賓館、素敵な音色の鐘のなる教会、博物館、民族博物館等を案内してもらった。広い岡の上に立って望む海は、波頭が白馬の鬣の様に見え、ここは、鱈の漁場であると言った説明を受けた。また、温水プールは、朝7時頃から開場して、老人達も多く利用すると説明を受けた。

大統領官邸等も訪れたが、厳しい塀や警備の様子も伺えない、風情だった。治安が良いとの国情が伺えた。

第二日目は郊外にあるゴールデンサークルと呼ばれるルートで回ったと思う。

北米とヨーロッパとのプレイトの分岐点を見たり、直径1,5メ―トル位の所から噴出する巨大間欠泉を見たりした。巨大間欠泉の有様は雄大だった。

黄金の滝、ラングヨークトル氷河を回ったがここは非常に悪路で、一苦労だった。この国の言葉は、カタカナ語にするのがとても難しく、地名や、訪れた先の場所名を失礼させてもらう事にする。火口湖も見たように思う。

第三日目は国内線でアークレイリへ移動した。

ここは、真夜中の太陽の街と呼ばれる所だそうで、到着後この街の周辺を観光してちょっと、ナイヤガラ瀑布を小型にしたような滝、地下温泉等を回った。

昼食後、フーサヴィークと言う町でホエールウオッチングの船に乗った。これが大変だった。天候は小雨模様。船は漁船のような小さな物、最初、私は船の先頭辺りに陣取って、揺れる船の動きに面白ささえ感じていたのだが、吹きつける風、波しぶき、そして寒さに耐え切れなくなり、船の後ろの方へ移動をせざるを得なかった。

3時間の予定のウオッチングだったけど、鯨が現れたと言う声は聞こえず、寒さに震えるばかりの私に、梯子を伝って降りて船の底に避難する事を勧められた。

ところが、この暗い場所で、寒さは防げたが揺れにすっかり船酔いをしてしまったのである。若い頃、よく乗り物酔いをした私だが、最近は滅多に乗り物酔いをせず、却って、その揺れを楽しむくらいの度胸を持っていると思っていたが、今回は、暗闇での揺れにすっかり参ったのだった。

鯨に出会わず仕舞いのホエールウオッチングだった。

 

アイスランドでの四日目は、専用バスで移動した。ソイザルクロゥクルとか言う場所への大移動で400キロメートルくらい走ったのだった。途中で黒い砂なども見たように思う。

グロイムバイルと言う町で土の家を見学した。草の生えた土地を切り取って家を作ってあるのだが、その内部に入ると非常に暖かかった。

屋根もその草の生えた土地で出来ていた。草の根の強さを利用して土が崩れないようになっているのだなと思った。

五日目は終日、スナイフェルスネース半島の観光だった。最初は、湾内をクルージングしたが双胴船と呼ばれる、ホエールウオッチングの際の船とは違って、船室もある船だった。天候も穏やかで、デッキに座ってクルージングを楽しみ、終わり頃、網を投げて、帆立や雲丹を捕ってくれその場で割って食べさせてもらった。

ここではお醤油、山葵を持ってこなかったの?などと好き放題を言いながら試食したのだった。

この船の中で揚げたてのフライで昼食を済ませたと思う。

午後は鮫を乳酸で発酵させた何度習っても発音の出来ない、臭い物を食べたり、鮫の大きな口や歯、鮫皮等保存されている品々を触らせてもらった。この博物館風な所に所蔵されているのはこの建物のオーナーのような人物の父が捕って集めた品だと、いろいろと親切に触らせてもらった。

そこからスナイフェットルス氷河に登った。ここでは噴火の際に出来た軽石を拾ってもらい、今、私のバスルームで活躍している。この氷河にはスノーモービルも数台置かれていたが、霧が濃くて何も見えず、乗れないとのことだった。野鳥のコロニーと言われる、断崖絶壁も見た。いろんな鳥が絶壁に巣を作っているようだった。

そしてアイスランドでの最終日の朝を迎えた。専用バスは西へ移動をしているらしくレイクホルトと言う所で博物館に入ったらしいのだが全く記憶が無い。

その午後の観光が強烈な印象を残しているので、どうやら、この地の事はすっかり記憶から抜けている。その町で昼を食べた後、グレンダヴィークと言う場所で乗馬を経験したのである。

私は大島の三原山で道産子と呼ばれる背の低い馬に乗り、馬子さんに曳いてもらって歩き、楽しかった思い出があるので、出発前からこの乗馬は楽しみにしていた。

ここの馬はポニーではなく、大きな馬で、それにまたがり、自分で手綱捌きをしなければならない事が分かり、いささか不安になった。まして、鐙に掛けた足はつま先近くでしっかりと踏み、内股に力を入れて馬を挟むように乗るのは上半身のバランスがとりにくく、非常に怖かった。私の乗った馬はブルーアイで白い馬だと教えられ、何て素敵なとの思いは強いのだが、リボンの騎士の様に格好良くは歩けなかった。この誇り高いじゃじゃ馬に少し意地悪をされ、馬上で仰向けに倒れた時は、これで落馬か?と一瞬思ったほどだった。どうやら、反射的に起き直り、事なきを得たが、本当に冷や汗物の乗馬体験だった。

乗馬の後、ブルーラグーンという野天風呂の温泉に入った。お湯はぬるめだったけど、暖かいお湯の流れて来る場所など見つけて、ツア参加者一堂混浴で楽しんだのだった。

こうしてアイスランドの旅の日程を終えて、再びレイキャビックの空港から帰途についた。

見えなくなってから、訪れる国の形が記憶に残っておらず、移動の際も北の方とか西の方と言われて、ちょっと、困ったのである。しかし、今回の旅の介助者の中に、国の形を点字でなぞって書いたものを持参して下さる方があり、私もそれを触らせてもらって、国の形、半島の様子など、どのような順で回っているのかがイメージ出来て有難かった。

この国の食べ物はシーフードが多く、富山湾のお魚の味に馴染んでいる私には、余り美味しいとは思えないのである。

鯨は冷凍で無いというのを食した。朝食には鰊の酢漬けが必ず出ていたが、買ってくることは出来なかった。

お肉はラム、鶏、ポークだったと思う。

コインには、お魚の絵が描かれていたようだった。カニ、イルカ、ダンゴフィッシュ、ランプフィッシュ等、今思えば、記念に残してきて皆さんに見せてあげればよかったなと思うのである。

ガイドはシシャモの雌は、総て日本へ輸出して、アイスランドには牡しか残って居ないなどと笑わせていたが、日本へはこの国から多くのお魚が来ているのだろう。

この国の平均寿命は日本に次ぐ長寿だそうだが、その原因は肝油と体を動かす事だと言っていた。寒い国だけれど、温水プールが多くて、高齢者も結構泳いでいる様子が伺えた。

この国の観光地の様子は余り詳しく知られていないようで、今回私達を案内してくれたガイドと専用バスの運転手が、行く先々で、道路の状態などの情報を集めては走ってくれた。他の国の観光地ほど、人間は居ないように感じたのである。ガイドもプロではなく、本業が画家で長く日本語を使わないので忘れていると言いながらも、鳥や小さな花の名前なども、一生懸命教えてくれてこの国に惹かれて33年間住んでいると言うことも理解できた。

遠い国だったけど、又新しい見聞を広めさせてもらった旅だった。

2006年 8月

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