アイルランド

 

出会いを求めて

少し暗くなりかけた高速道路を走る空港行きのリムジンバスに身をゆだねながら、私の成田参りは何度目になるかしら?とぼんやり考えた。

2度関西を利用した以外は総て成田からの出国である。すっかり御馴染みになったように思う。

今度訪れるアイルランドは一つの国だと思っていたら、アイルランド共和国とイギリスの一部に分かれているのを初めて知った。

故に通貨もユーロとポンドだった。私はお城や教会聖堂の名前がさっぱり覚えられない愚か者なので、今回も自分の印象に残ったことを思い出しながら書き留めたいと思う。

成田からロンドン、ヒースロー空港に飛び、アイルランドのコークと言う第2の都市に着いた。

小雨が降っていた。この国ではシャワーと呼ぶこの種の雨がよく降るのだとガイドは教えてくれた。

最初の朝、アイリッシュブレックファーストを美味しく頂、ブラニー城へ向かった。ヨーロッパの古いお城は総てがそうであるように螺旋階段である。今回のお城も勾配の強い狭い階段をグルグルと登った。上にブラニストーンという像があるらしくその足にキスをすると雄弁になるとかで、我らがツア仲間の一人がそれに挑戦した。これはかなり不自然な姿勢にならねば実行がかなわないらしくそれを成し遂げた人の感想は「キスは矢張り柔らかいほうがいい」そうである。そこからキラニー国立公園の中の三つある湖の一番大きな湖を船で遊覧した。昼食に私は初めてマーフィーズと言う黒ビールとアイリッシュシチューを食べたのだがその美味しかったこと、アア矢張りもう少し頑張って体力、気力で旅をしたいなぁ、の思いを深めたのである。が、食事が美味しかったのはその時までで、後は量の多さと胃袋が驚いて拒絶反応を始めて、食事が怖くなった。

午後はアディオ村と言う可愛いかやぶきのカラフルな家のある場所を訪れた。次にバンダッティ城を訪れここで中世の晩餐会を経験した。旅行日程表に晩餐会に出席と書いてあったので、それに相応しいドレスを準備してきたと言う女性もあったが、残念ながら、そのようなドレスアップをするような晩餐会では無くて、よだれ掛けのようなエプロンをして、手掴みでスペアリブを食べると言うような食事だった。生のハープの演奏やアイルランド民謡のコーラスなどを楽しみながら食事をすると言う和やかで楽しい一時だった。この日のスケジュールはかなりきつく、第一日目で私は疲れてしまった。

 

次の日はリムリック市内観光をして後バンラッティの民族村を散策しながら観光してモハーの断崖に到着、大西洋にそそり立つこの断崖は観光地として有名らしく大勢の人波だった。風も強く歩く道も勾配があって、疲れ始めた我が身にはきつかった。

その後バレン高原と奇石の散在するカルスト台地を観光して、ゴールウェイの市内観光で聖ニコラス教会とかを訪れたが、門が閉まって入れず、ごみごみした狭い道路を通って歩いたように思う。その夜の宿泊はゴールウェイだった。

 

次の日はアスローンへ移動してシャノンブリッジと言う湿地帯へ移動して泥炭を採掘するボク・ツアーという汽車に乗った。泥炭を掘る大地に立って、そのクッションの効いた感触を楽しみ食虫花も触らせてもらった。話ではお花が虫を取って食べることは知ってはいたがあのように小さくて可愛い花が虫を食べると言うのも新しく知ったことだった。

このボク・ツアーの出発点で待っている時、日本の男性が自転車でやってきて、一人でサイクリングしながら旅を楽しんでいると言う。ショートパンツにハイソックスをはいて、と言うが外見よりはお年を召した方らしかった。でも羨ましいな、一人でサイクリングしながら歩くだけの語学力があるなんてなどと、つい私は無いものねだりをしてしまう。

 

アスローン城という小さなお城を見学した。これは資料館のような展示物を並べたお城だった。

この後昼食を採り首都のダブリンへ向かった。どうやらこの移動の間私はバスの中で眠り込んでいたらしい。

市内でギネス・ストアハウスと言う所で黒ビールのできる様子などを聞き試飲した。

黒ビールというのは原料の大麦の一部をオーブンで焦がして使うので特有の香りと味が加わるらしい。

その時々の体調にもよるだろうが、私はマーフィーズと言う最初に飲んだ黒ビールが何とも言えない香りと味を持っていたように思う。首都ダブリンで同じホテルに二泊するのは気分も落ち着き、次の日はダブリン市内観光となった。フェニックス公園と言う広々とした公園内を散策して、ダブリンで一番古いと言われるクライストチャーチ聖堂を見学し早めの昼食後、グレンダロッホという教会の跡を見学した。ここはお墓などが多くあったように思う。

それから伝統織工房、アボカハンドウェィバーを見学、買い物を楽しむ女性も多かったが私は形の残る物はいらない主義なので織物の感触を楽しませていただくだけだった。

次の日はダブリンから北アイルランドのベルファストへ移動したのだが、国境と言うのは改めてなく、道路の表示がキロメートルからマイルに変わって行くことで違う通貨の国になるらしい。移動の途中でタラの丘を歩いたが、ここは「風と共に去りぬ」の作者マーガレットミッチェルの出身地らしくタラの農場はここをイメージして書かれたらしい。広々とした丘でお墓もあるらしい。360度見渡せる丘だった。風は冷たくICレコーダーを持つ私の手はかじかみそうなくらい冷たくなった。ニューキャッスルというリゾート地で昼食をしてアイリッシュ海の砂浜で小さな可愛いカラフルな貝殻を拾ったりしてしばし寛いだ。今夜の宿泊地ベルファストに移動してホテルに入る前に、市内観光をした。シティホールなどビクトリア女王時代の立派な建造物などを見学している時、いやに賑やかな子供の一団が騒いでいると思ったが、それは台湾から語学学習で来ている子供達だった。

今は世界へ飛び出して来る学生も多くなり私達の利用した英国航空の便にも日本の中学生の団体が乗っていた。羽田へ同じバスで移動したので多分地方の中学生だろう。

 

このベルファストでも同じホテルに連泊できるのが落ち着いて有難い。

次の日つまり、北アイルランド最終の日はポートラッシュにあるオールドブッシュミルズと舌をかみそうな名前のウイスキー蒸留所を見学した。ここはアイリッシュウイスキーの蒸留所なので、アメリカのバーボン、イギリスのスコッチそしてアイリッシュウイスキーの味比べをして欲しいというようなお話でテイストする人が二人選ばれて何か修了書のようなものをいただいたらしい。

私はウイスキーの匂いをかいだだけで咳が出るアルコールに弱い人なのでホットウイスキーを作ってもらって飲んだ。

これは少し甘みを加えてあり風邪の時には良いだろうなと思った

午後ジャイアンツゴズウェイという世界遺産に指定されている六角形やさまざまな形の石のある観光地を訪れた。ここも観光客が多くて雨もかなり強く降り、濡れたのだった。こうして私のアイルランドの旅は終わった。

 

前述したように食事は美味しいのだが、量の多さにすっかりたじろぎ、楽しみにしていたメニューのいくつかをパスしなければならなかったのが非常に残念である。

食べ物の恨みは怖いものである。

いまだに執念が残っている。

そしてこの旅を楽しくしてくれた最大のものはサポートをしてくれた女性だと思う。

私とそんなには年齢が違わないのに英会話がとても上手でその点も安心してお任せのできる人だった。

彼女の軽やかに話しかける挨拶に答える現地の人や旅をしている人達、乗り合わせたエレベーターの中などでのウイットに富んだ大人の会話のできる語学力に私はただただ羨望の眼を向けるのみだった。本当に多くの人に支えていただきながら、今回も旅を終えることの出来たことを有難く思う。

 

2005年8月

 

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