アフリカ

 

アフリカへの旅

開発途上国への旅など、考えても居なかった私が、2001年3月アフリカへ行くことになった。

今までの海外旅行と違って、まず、黄熱病の予防注射を受けねばならないのに戸惑い、それは日本海側では、新潟の検疫所のみで水曜日の午後しかないと言う。

結局日程の折り合いがつかず、注射のみの為、東京へとんぼ返りの空の旅をすることから始まった。

数々の激励やら冷やかしやらを受けての旅立ちは緊張の連続だった。

今回サポートをしてくれるのは、大学生と大学院生の若い二人が交互に私を助けてくれることになった。

 

アフリカは遠かった。

バンコック、ドバイの2箇所での乗換えをして丸1日のフライトである。

到着したケニヤのナイロビ空港の空は青く、雲は人が乗っても大丈夫そうに見えるしっかりとした雲だと説明をしてもらった。ここからサファリードライブが始まった様なものだが言わずと知れず道路はがたがた、冷房の無い車での移動である。

私たちに接するケニヤの人は聞き安い英語で話し、気安くジャンボ「今日は」と声を掛けてくれた。

宿泊をしたロッジには夜、水を飲みに来る動物たちも見ることが出来、動物好きな人たちは、興奮してあれも居た、これも見たと喜んでいる。

赤道をはさんで、渦巻き実験をしたりナクール湖に何百万羽と群れるフラミンゴ、ライオンダチョウ、シマウマ、象など多くの動物を自然の中で弱肉強食の様を充分に堪能した。

マサイ族の集落も訪れ彼らの牛糞で固めた住まいにも入って見、そのすさまじいばかりに身に付けている装身具などを売りつけようとする迫力に驚く。

右手にスープ皿を伏せたようなキリマンジャロ、左川から昇る太陽、そこへどこからともなく現れた象の群れ、絵になるとの人々の話に、私もイメージしてみる。バルーンに載って早朝の草原を上から眺めるオプショナルツアーは保険が無いのと高価なので最初は敬遠する人が多かったが、若者に誘われ私は参加した。

日の出前の空気の冷えたときに直径50メートルくらいの気球に、10名くらい載れる籠をつけてガスを燃やして上昇、ゆらゆらと上からのサファリーである

1時間余り遊覧して降りたところへ車で朝食を運んでくれて、自然の中でのシャンペンでの乾杯、そして朝食。美味しかった。

 

タンザニアとの国境もちょっと歩いてケニヤでの旅は終わるのだが食事は美味しく、ワニやダチョウ、シマウマなど初めて口にするお肉も美味しく賞味した。

ナイロビ空港からエミレス航空機でドバイへ。

ここではアラビア海の水を味わい綺麗な貝殻を2,3ひらい、らくだ牧場でらくだに乗った。

脚を折って低くなって乗りやすい体型になってくれたが降りるときに急激に沈んだので落ちそうになった。乗っている間は、左右に揺れ、馬に乗るより怖い思いをした。らくだのこぶは私が背伸びをして手を伸ばしても、未だ20センチ位高い。夢中で触っていると別のらくだが近づいてきたのに気付かずキスをされそうになり思わず悲鳴をあげた。

 

砂漠ではベリーダンスショウを、砂の上に広げたじゅうたんの上で座って楽しみ水タバコなるものも口にしてみ、手の甲には刺青風の絵を描いてもらい、これは1週間すれば消えるという繊細な花などを描いてもらった。

次の乗り継ぎ地、バンコックではタイのマッサージを2時間余りしてもらって成田へ帰り着いた。

参加者25名、視覚障害者5名車椅子2台の旅は無事に終わった。

   2001年3月

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