2012年日盲連千葉大会

 

第65回日盲連大会が千葉県で開催され、それに伴っての旅行計画が届いたのは昨年末だった。それを読んで、かつて訪れたことのある場所ばかりだったのであまり気が進まなかったのだが、近頃は出かける意欲も少なくなっているので、わが心に鞭打つような気持ちで参加申し込みをしたのだった。

 

例によって高岡を起点としてのバス旅行である。各地での参加者を拾って北陸自動車道に乗った頃には、かなりの遅れが出ていた。出発が渋滞にかかる時間だったせいもあるのだろうが、なんともはやと言った気持ちである。

 

今年の参加者にはキャンセルをする人も多くて総勢30名くらいだっただろうか。長い長い新潟県を抜けて11キロもあるトンネルを抜けて、ようやく群馬県に入った。昼食は名物の水沢うどんとのことで高速道路を下りて榛名山方面の水沢寺に到着したのは午後2時近かった。何しろ私は早朝5時半頃に朝飯を終えているので、流石に空腹を感じて機嫌が自然に悪くなるのだった。先ず観音寺の参拝を終え、それからやっと名物と言われるうどん定食をお腹に収めることが出来た。

 

再びバスは高速に乗り、首都高速から外環道で浦安へと走った。途中、車窓から今話題のスカイツリーが見えると大騒ぎ。普段見えない見えないと言っている人までが見えると言う声が聞こえ、全く何も見えなくなっている私は、少し妬ましい気持ちに襲われたりしたのだった。

 

ようやく夕刻に、その夜の宿泊ホテルに着いた。しかし、夕食はバスで移動した料理店へ行くのだと言う。ホテルにカラオケ設備が無いからだとの理由に、カラオケが好きでない私はますます不機嫌になったのである。長いバス乗車で疲れ切っているのに、皆さんが懇親会と称してカラオケに興じられるのなら、私は休みたい。しかし、バスで帰らねばならない場所での夕食なので、まことに不満なものだった。

 

2日目は、浦安内のホテルで大会参加。今年から日盲連の会長が代わり、この会長の挨拶があった。これまでの日本は福祉に関して欧米に遅れをとっていたが、今や世界的にも先頭に立てるほど福祉が進んだので、これからは後進国の手本になるだろうとのお話である。後は来賓の祝辞、これは代読が多かったが選挙も近いと思われるのか、両院国会委員が綺羅星のごとく続く。しかし、中には「短い祝辞が一番受けているようだ」と即席に挨拶する人もあり、それには一段と拍手が多かったように思う。

 

この日は雨風で、その夜の宿泊地、銚子へ向かう途中で少し濡れることもあり、予定を変更して濡れ煎餅の体験だったと思う。お煎餅を焼く手順等はブログに少し書いたのでここは省略としましょう。

 

この日の宿泊ホテルが当初送付された予定とは変更になったのだった。というのは昨年の大地震の影響下、風評被害で5月末で廃業となり、急きょ決まった犬吠埼温泉のホテルだった。風評被害と言うのも大変なことである。

 

この日の夕食も懇親会と称してカラオケが盛ん。私の向かい側の席に座った女性、まるで動物園の折の中のお猿さんが発するような奇声で盛んに野次を飛ばされるのには辟易した。女性の酔っ払いほど醜い物は無いと教えられて育った私、二晩続けての奇声の野次には不快な思いをしたのだった。

 

旅の最終日は、天候も回復して犬吠埼灯台の観光から始まった。私は割合と世界の有名な灯台、岬、日本でも足摺岬等、地球が丸く見えると言う場所を幾度か訪れているのであまり感嘆しない困った存在なのだった。らせん状の99段あると言う階段で、最初から登ることを断念する人もあったらしい。

 

岬特有の風のつよい灯台観光を終えて、ヤマサ醤油工場の見学。しかし、当日は日曜日、工場は休みなのでビデオでの紹介、そして売店でしめじスープの試食と、近頃流行のご当地醤油ソフトクリームを買って食べた。しかし、それほど美味しい物ではなかった。

 

ここからバスで成田山へ。茨城県を走りながら霞ケ浦や潮来の話等をガイドはしてくれるのだが、かつて私は一人で潮来へ菖蒲の姿を求めた頃、こんなに遠いとは思わなかったのにといささか草臥れが出ていた。

 

成田山の参詣を終えて昼食となった。ここで初めて靴を脱がずに座れる食事場所となりホッとした。ここまでの食事場所は下足を脱いで階段を上がって和室での食事と言う形が多くて、このような形態での食事は障害を持つ身には不向きだと私は思っている。あえてこのような食事形態を選ばれる企画者には苦言を呈したいと思う。

 

昼食後は一路富山へとバスは走り、夕食は各自で準備するようにとの指示で、私はいち早く長野県でのサービスエリヤで野沢菜入りのおやきをゲットして夕食に備えた。日曜日の夕刻ということで、その後立ち寄った新潟県のサービスエリヤではお握りなどが売り切れでパンを買って夕食にしている人も多く見受けられた。

 

終着地点の高岡に到着したのは予定時間より1時間遅れの午後10時を回っていた。こうして二泊三日の関東方面への旅は終わったのだった。

2012年6月

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