富山城と松川べりの桜

富山で有名なところ・もの?なんだろう?
立山黒部アルペンルート、越中富山の薬売り、おわら風の盆、しんきろう・・・などたくさんあるのだけど、 今回は富山のランドマーク?富山城と城址公園の側の松川べりの桜について紹介したいと思います。

富山城は現在の富山市街地の中心部に位置し北側に神通川が流れ、城の東側に流れるいたち川から水を引き、堀を張り巡らした浮城・安住城と 呼ばれた、守るに強固なお城でした。
16世紀に初めて城が築かれて以来、織田信長の家臣である佐々成政などが居城にしていましたが、 後に加賀百万石の前田家の分家・富山藩十万石の居城として明治時代まで続きました。
富山藩の領地も、現在の富山県を縦に3等分した内の真ん中の部分ほどしかなかったのです。

城址公園

その富山城も度々の火災に遭い、現存する建物は残ってはいません。
明治維新を向かえ富山城は廃藩置県により県庁が置かれたのですが、やはり火災に遭いその後は城址公園に なりました。

第2次世界大戦後、昭和29年城址公園一帯を会場にした富山産業大博覧会が開催された際、記念として 現在の富山城が建設されました。3層4階の天守閣がお堀の水面に写りとてもきれいなのですが、実際には 富山城には天守閣はなかったのだそうです。
近年、富山県民・市民の防災意識が高まり、富山城の建物や石垣が地震などの災害に耐えられない事が 判ったので改修工事をすることになったのですが、天守閣を再建するかどうかで現在ちょっとした論争に なっています。お城の内部は郷土博物館として富山藩・市の歴史的資料の展示などを行い、たくさんの市民・ 観光客が訪れています。

富山城

松川は昔の神通川の流れの名残です。神通川は東に向かって富山城の北側を蛇行して流れていましたが、 水害が多く南北に真っ直ぐな水路である馳越(はせこし)線工事をしました。その結果、次第に馳越線に 水流が集まるようになり、本流はわずかな流れを残すだけとなりました。それが松川となり現在にいたっています。

松川ぞいの桜並木は、江戸時代富山藩10代藩主前田利保の隠居所として富山城の東出丸(今の桜木町のあたり ・・・富山一の飲み屋街・・・横浜の桜木町じゃないよってあたりまえか・・・。)に千歳御殿が建てられ、御殿に植えられていた 桜を移したのがはじまりということです。

松川の桜

富山でも有数の桜の名所で花見の時期にはたくさんの人が松川べりや城址公園に集まります。また、 富山の春の一大イベントである「富山桜祭り」もあり、「全日本チンドンコンクール」が行われます。
家族連れやカップル・観光客などさまざまな人々に親しまれている桜をながめると、ようやく富山にも 春が訪れたなあとしみじみ感じられます。


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