小学館・日本百科大辞典より | 文末は執筆担当者 |
タタール族 タタールということばは不明確で、これを用いる社会や時代によってさまざまな内容をもつ。タタールは突厥碑文に九姓タタール・三十姓タタールとしるされたものがもっとも古く、中国では唐代から清代にいたるまで北方の諸族をさす名称として「韃靼」がつかわれた。この名称は『旧唐書』『旧五代史』などにはじめて現れるが、この場合の「韃靼」は、モンゴル族中、タタール部族を意味した。 現在、狭義のタタール族はタタール自治共和国の基本住民をいい、広義にはチュルク語を話す諸族のうち若干の種族をさす総称として使われる。 地域別に分けると、 (1)狭義のタタール族を含むボルガ川沿岸・ウラル地方のタタール族ソ連領内のタタール族総人口は496万9000(1959)、 ボルガ川沿岸・ウラル地方のタタール族は、からなる。以前はカフカス北方のチュルク系諸族のすべてとアゼルバイジャンの住民、またシベリアの非チュルク諸種族までもタタール族とよばれた。カザン=タタールシベリアのタタール族は、 タタール族の生活様式は地域的多様さと並行して多岐にわたるし、しかも革命前と現在の状態では一変してしまったから概観するのはむずかしい。たとえば、シベリアのチュメンスク=タタールをみても、森林ステップ地帯にすむものは農耕、湖河領域のものは漁労、ブハラから移住したものはウマの飼育とキャラバン貿易というぐあいである。 タタール族の大部分はイスラム教徒だが、シャーマニズム信仰もあり、カザン=タタールの一部は17世紀初期ギリシア正教徒になった。 言語の点からは、 (1)中央方言のカザン=タタール語に分けられ、このほかアストラハン方言・カシモフ方言・テプテル方言・ウラル方言がある。 黒田信一郎 |