高井 三樹郎 氏の付属意見


■党のあり方が間違っている

 いま政界が読めない、方針(考え方)がわからない、どの党、だれを選べばよいかわからないとよく言われる。これは、現在までの党(組織)は今まではよかったが、今後の党としての考え方、でき方において現実的にむかなくなってきたからである。今までの党という考え方に対して長い間国民はならされ、なじんできたために、つぎの新しい考え方を作り、それになれてもらおうとしても、国民にはなかなか理解してもらえないのが現実である。また新しい「考え方」へ急に変わることも国民を迷わせてしまうことになるが、なれてもらうしかない。いま一番こまっていることは、今までの党において、党に考え方の違う人が多く所属している、所属していても問題と思わないことがおかしいのである。党というものは、考え方の同じ人が集まってできあがり、同じ考えの人が集まってできた党は運営がスムーズに行なえる。

 しかし、政治家は自分の「考え方」を大切にすると同時に選挙において「当選する」ことが大切であり、「当選する」ことのほうをより重要視していることが問題でなかろうか。中には「考え方」をもたずに「当選のみ」に熱中し、当選のあとに「考え方」をこじつけるから「考え方」がしっかりしないし、また一貫性がない。その「考え方」に対して己のものになっていないこともよく見受けられる。この選挙に当選することを考えたとき、国民の望むものは、よい「考え方」をもった(自分の考え方と合う……ただし、己の私利私欲で考えることではない)人を選びたいと思っているが、政治家は自分が当選するためにはどうすればよいかに重点を置きすぎているから、国民とのあいだに矛盾を生じるのである。政治家は「考え方(国民の本当の幸せ)」をしつかりもっておれば当選できることを忘れている。

 今の現状、国民にも知識不足という問題点がある。国民は、今自分たちの問題はなにかをハッキリもつ必要がある。国民は「考え方」のしっかりした人を今後選べる知識と、行動が必要である。当選しなかった人は「考え方」がしっかりしていないか、一貫性がないのである。党として大切なのは先ず「考え方」をハッキリ決めることである。いまの既成政党では一貫性をもたせハッキリとさせることは党の分裂につながるため、みんながこわがっているのではなかろうか。これが55年体制では、当然としておこった党の分裂である。しかし、今までおこった党の分裂のいきさつは将来の求められている体制の方向へ分裂してきたのかというとそうではない。そのとき、そのときの部分的な意見の対立(手続き、ステップの違い)によっておこったことが多い。考え方の同じ人が集まる党をつくるまでには何度かのステップが必要である。また将来の状態にもっていく方法論の違いによって分裂した人も多い。また、今の状態で分裂がおさまったかとみるとまだまだであり、各党の中に未だに考えの違う人が多く、こまったことに大きな党は安全だと思って分裂しようとしないことに問題がある。おおきな党が分裂するとその党に入っている人たちは力が弱くなってしまうと、そればかり気にする人も多すぎる。これは「数は力なり」と錯覚しているためである。今後はバカな(能力のない)人間をいくら数を集めても決して力にならない時代がくることを理解させなくてはならないし、そのようなシステムにしなければならない。このような「数は力なり」をなくするためには、今のような多数決主義では解決しない。

 話をもとに戻すと、いままで分裂した、いろんな党は合体することがないかというと、考え方がハッキリし、考え方が合えば合体するであろう。ここで基本的にしっかりさせておかないといけないことは、「考え方」があって党ができることである。けっして、党をつくって「考え方」をつくるのではない。考え方の違う人が集まってはいけないのである。これをしっかりしないと同じあやまちが繰り返されてしまい、また過去の党を作ることになってしまう。いま党を集約していこうと考えている人たちは過去の同じあやまちを犯そうとしていることに気づいていないのである。このためには「考え方」をハッキリ打ちだすことが大切であり、小さな党であっても我が党はこのような「考え方」であるとハッキリした方針を掲げることが大切である。しかし、「考え方」をキッチリと決められる党も少ないし、その党のブレーンにおいて「考え方」をつくる人も少ないのが現実である。ブレーンは選挙をいかに勝つかが今までの本業であり、考え方をつくる仕事ではなかったため、つぎの時代のブレーンが育つまでに時間がかかると思われる。各党が考えを打ち出したときにはじめて党の連結ができあがり「考え方」の同じ人が集まり、党としての行動が速やかに実現できるようになる。この状態になるまではまだまだ党の分裂と統合を繰り返さなければならない。なぜこのようなムダな時間と労力を必要としているかと言えば、政治空白をつくつてはいけないことが前提条件にある。もしいまの政治が止まってもよいと考えるならば、すべての党をなくして、利口な人が数個の考え方をだし、その考え方に対して党をつくり、党は「考え方」というフルイを党のうえにかぶせ(このフルイは考え方の違う人を入れないフルイである)各自が自分の考え方に合う党に入ればよい。本人が「考え方」をもたないあいだは絶対にいれてはならない、この人は無所属(党なし)として自分の考え方ができあがるまで勉強してもらうか(このような人は何回かの選挙のうち当選しなくなる)、自分の考え方をつくって党を結成し仲間を集めればよい。このようにフルイを通すことにより、同じ考え方でつくった党による政界が今後望まれる政界の姿だと思われる。今後比例代表制になるから、党は二つにしなければいけないと考えることは、選挙で勝つことだけを目標にした間違った発想である。政治は当選することよりは、いかによりよい国家、県……などをつくるかが目標であることを忘れてはならない。党は考え方が違うときは分裂し、合うときは統合か同調しあって運営すべきである。ただし、あまり変化することも、変化が目標となり、政権が不安定となり、政治、経済の不安定を起こすことになるため世界、国内の環境に合わせた緩やかな変化が必要である。物事には妥協も大切であり、できる妥協は政治を安定させるために必要である。しかし、いま「考え方」をつくってから党をつくる方法は国民に理解させにくい。いままでは党をつくってから考え方(密室で)をつくつてきたから、考え方の違う人をとりいれた党で考え方をまとめようとすることにムリがある。このような党に対して国民は党の考え方がハッキリしない、方針がないとつついてもムリである。少し時間はかかるかもしれないが「考え方」を先に決めてから党をつくるのが正当な方法論である。またもう一つ国民がわかりにくい考え方の中に、方針をはっきりしてくれと言う話である。例として消費税の問題などがある。ある党は消費税7%であるとハッキリ発言している。目標は明確であるけれども、本当にそれだけのアップが必要かと追求していくと明快な答えがでてこない。またその中身は複雑で国民が理解しにくい表現で回答してくるため理解できなくなり、理解したくなくなり、7%だけがハッキリして、ハッキリしているようにみえる。もし7%といっても、官僚などのリエンジニァリング(組織改革)を含めての7%なら非常に問題である。企業においてもリエンジニァリングじたい実行するには全勢力をかけて取り組まないとできない仕事である。このように簡単に表現しすぎているリエンジニァリングは実行不可能である。企業においてリエンジァニングは、各自の立場がどう変わるかわからなく、企業は生き残れるかどうかという時に行う方法で気楽に使えない言葉である。実行するためには方法論をハッキリ決め、みんなに理解させないと進まない問題である。これではこの7%に対して、必ず上乗せのアップをしないとできないことになってしまう。現在の組織改革、規制緩和をおこなっても、今の方法論では効果はでないのかもしれないが、このリエンジニァリングをしないならば今後の官僚体制はかえることはできず、国民はムダな税金を納めなければならないことになってしまう。このように最初に裏付けのないいい加減なことをさもカッコよく発言することは、今後の政党の発言にはむいていない。先ず税金を上げるにしても、このようなムダをこのような方法でこれだけ節約し、このようなことに使いますからよろしいですかと、方法論をハッキリして、これこれのときは、いくら上乗せが必要であると説明することが今後の発言の仕方でないかと思う。国民は税金は少なければ少ない程良いわけであるから、納得いく発言が欲しいのである。

 最後に国民に納得いく方法は、思いつきで発言できる内容ではないため、時間が必要である。問題に対して影響ある人(政治家、官僚)のみで決めるのではなく有識者(その問題に関係のある広い環境で集めた人)の集まりで進めていくことが大切である。


■中央政権を地方政権が選択する

 なぜ地方の政権が中央の政権に左右されなくてはならないのか常に疑問に思う。地方の政党は中央の政党の組み合わせが変わるごとに如何しようか迷っている。別に地方の政治が中央の政治の組み合わせによって変らなければ地方におこっている問題をすべて解決できないわけでない。しかし、地方の議員にとっては問題を解決する仕事以上に中央に出向いて予算をお願いするため上京することが仕事となっている。これらの問題には一つは、予算が中央に集められ、そのあと地方に分配されるシステムになっているためである。地方に税金が集められているのであるから、地方は国としておこなうべき仕事に対して中央に納税すれば、地方は地方の人たちの望まれることに対して有効に税金が使うことができ、議員は上京する仕事は減り、地方の問題を解決する時間がもてるようになる。また地方において税金を有効利用できるようになると同時に今期予算というものを全部使わなくても来年度の予算がとれなくなるようなことも分かり合えるようになる。税金のムダも県民により決められる身近なものになるのではないだろうか。

 また話は戻るが中央の組み合わせ問題に対して地方の議員に影響がおこるのは、自民党(中央)は自民党(地方)という名前が同じ所に問題があるのではないかと思う。この中央との関係なく、地方の考え方により党をつくりその党の考え方と一番近い中央の政党を選べば中央に左右されることはなくなる。中央も地方の議員、県民に理解できる考え方をしないと支持を集められないので、信頼される考え方を作り出してくれるだろうし、地方の人に対しては大切なことである。また中央の議員は、国民の将来を考えた国家をつくるための仕事において、地方における不利益があっても実行しなくてはならないと同時に、それらの人に納得してもらうための勉強をしなくてはならないと思う。地方と、中央は対等であり、どちらが上であってもよい政治はできないのではないかと思われる。


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