ドイツへの留学経験があり毎年ドイツで何週間かを過ごし、ドイツ人女性を妻とする方から一つの意見がなされた。
日本人の休暇は細切れで、慌ただしく、少々まとまった休暇は、盆と正月に4〜5月のゴールデンウィークで民族大移動となる。そして料金体系は「お父さんのチョイの間の出費」に合わせた高額なものであるというものであった。ドイツでは3〜4週間の休暇を家族とユックリ過ごすと言う。平社員ほどバカンスに適したシーズンがあてがわれ、管理職はオフシーズンにローテーションが組まれるとのことである。
彼の話を聴きながら、日本のカレンダーをめくって見た。「国民の祝日」が、なんと14日もあるではないか。「他の諸国はどうだろう?」と、ニュージーランドへ移住したイギリス人夫妻から貰ったカレンダーをチェックしてみた。すると、日曜以外の「赤い日」は年間9日である。「悠々会」でこの話をしたところ、メンバーから「得意先への来年のカレンダーだが、休日が違って使い物にならない」とスイスの物の提供があった。と、こちらは年間6日である。この他に、各国、数週間まとめての休暇が、「豊な国々」の休暇のあり方らしいと思われる。そして日本の「国民の祝日」の異常な多さと、細切れぶりが気になりだした。
年間14日を単なる記念日(メモリアルデー)として休日(ナショナルデー)から外し、代わりに2週間をまとめての休暇をとらせる。中小製造業には移行期間が必用かもしれないが、「そうしない会社は、社員も含め、ペナルティーとして追徴課税すればよい」と言う。
思えば、これまで日本はすべてが製造業の生産中心で、製造業以外の産業(金融や輸入業、過疎地の農林水産業や観光・サービス業など)は二の次、国民の生活の豊さは三の次の社会ではなかっただろうか。通産省の産業政策も文部省の教育も全てが「富国強兵」の、戦後は「強兵」がとれただけではなかっただろうか。或いは製造業の企業戦士としての「強兵」だったのかも知れない。
家族4〜5人、そろって2〜4週間、今の日本ではいくらかかるだろうか。長期滞在型休暇で一家庭、数十万に抑える、しかし、年間とおして一定の利用者が見込めるとなれば、過疎地と言われた地域の民宿なども、学生の季節アルバイトに頼らない、ニュービジネスへと転換していくこともできるのではないだろうか。従来、過疎地のリゾートは町村役場の第三セクターなど高い建築費で利用率の小さい、財政赤字の象徴でもあった。そろそろ、こうした官主導から民主導の経済へ転換し、市民の経済的自立を促す社会への転換の時期と思われる。
まとまった休暇を、自立をめざして、転職や独立の自己研鑽に使うことがあってもよいではないか。また、自然の中での家族の長期休暇に子供が合わせられないとすれば、教育もこれに合わせた、受験やカリキュラムに追われないものにならねばならない。「本来、大人がすべき競争を、代わりに子供に」させてはならないのである(第14期中央教育審議会答申)。
祝日法(国民の祝日に関する法律)の改正だけでも、かなりのイノベーション効果(J.シュンペーターの言う)が見込めるのではないだろうか。日本経済は経済内変数いじりだけでは済まない、経済外変数をも思い切って変える時代となったようでもある。