山中湖の旅('14.10.11〜13)

山中湖近くから見た富士山
今回、東京に住む友人高尾君の招待で山中湖の別荘を訪問した。
大学時代に参加した朝日洋上大学の同窓会が3年前にあり、その幹事の石川君が、私の同郷の幼馴染み高尾君とも親しいことを知った。
石川君の会社が管理する別荘地で、高尾君から別荘の建替えを依頼されたのだという。
今年になって小学校の同期会を企画し、高尾君と40年ぶりに再会したおり、石川君と別荘で酒を飲みかわそうといった話になり実現した。

訪問間近になって台風19号が発生し、3連休が台無しになるのではと心配したが、何とか天候ももち、富士山も薄いベールをかぶりながらも顔を見せてくれて、山中湖周辺を観光することができた。

昼過ぎに石川君の勤務先「富士急リゾートアメニティ」で高尾夫妻と落ち合い、まずは吉田口登山道の入り口である北口本宮富士浅間神社を案内してもらう。
建築家で、自然観察員など幅広い知識を持つ石川君の解説を聞きながら観光する。
浅間神社から鍵型に上吉田と下吉田の通りが配置されているが、そのわけは自然災害と街づくりの関係で納得できる説明であった。御師の町、上吉田の本通りには吉田火祭りの松明を設置するための穴が隠されている。

富士山信仰の入り口である金鳥居の山側が御師の町で、最盛期には86軒があったそうだ。その中の「旧外川家住宅」を見学した。御師の家とは、富士山信仰の祈祷師の家であり、富士講の信仰者を迎え入れ、宿坊、祈祷所などの役割も持つ。

北口本宮富士浅間神社 御師の家「旧外川家住宅」 「旧外川家住宅」玄関前にて

忍野八海「御釜池」
忍野八海は、富士山から湧き出した八つの池である。
石川君なじみの店の草もちがおいしかった。
八海最大の「湧池」が一番賑わっており、物販店が軒を並べ中国人など外人観光客が多い。
「御釜池」や「菖蒲池」などは、民家の庭先にあるようだ。

高尾君の別荘は、石川君の設計で5年前に建て替えたのだが、300坪の敷地に30坪の2階建てのゆったりしたもので、所々に設計者としてのこだわりがある。

薪ストーブの柔らかい炎に照らされ、暖められて心地よい。
富山名産の鱒寿司、昆布〆そして蒲鉾を持ち込み、酒は娘婿から貰った新潟の銘酒「越乃寒梅」だ。
若い頃の話などで盛り上がり、一升瓶も日が変わる頃には空いていた。



二日目
パノラマ台にて
翌朝は昨日の酔いがまだ少し残っているようだったが、ひんやりした空気と緑に包まれ、鳥のさえずりに癒される。
朝食前に、山中湖と富士山を共に愛でることができるというパノラマ台まで行ってみたが、厚い雲に覆われて富士山を見ることはできなかった。

石川君は、別荘オーナーたちを対象に企画した自然環境や音楽などのイベントのため、二日目は高尾夫妻と観光に回った。

気象衛星の普及で役目を終えた富士山レーダードームの見学、富士山の生い立ちから、富士山信仰等世界の文化遺産を解説した富士ビジターセンター、さらに環境庁が設置している生物多様性センターにも立ち寄ってみた。
生物多様性センターの展示手法は、なかなか面白く感じられた。お父さんと2人で来ている幼子も、楽しそうに展示を見ている。

船津体内樹型内で 富士山を背に花の都公園にて 山中湖写真ギャラリー

途中お昼になったので、ご当地グルメの「吉田のうどん」をご馳走になる。
硬いのが特長とか。でもおいしくいただきました。

体内樹型とは、噴火の溶岩に覆われた樹木の空洞が人間の体内のような様になっていることからそう呼ばれているのだが、船津体内樹型は一部の特に狭いところがパワースポットとしての人気があり、そこを避けて回ってきた。

冨塚晴夫氏と猫
猫のメグちゃん
花の都公園からの富士山もビュウ・スポットの一つ。高尾君が癒しの場としている10坪農園も、この公園に隣接しており、週末の楽しみの一つだという。

山中湖の周辺には村営の温泉が「石割の湯」と「紅富士の湯」の二つあるそうだが、週末は観光客などで混むことから、富士急系列のホテルマウント富士のお風呂に入らせてもらった。

夕方、石川君との待ち合わせ場所である山中湖写真ギャラリーに行く。プロカメラマンの冨塚晴夫ご夫妻が撮影された、四季折々のすばらしい富士の姿を拝見させていただいた。


三日目
天候は朝から雨。四国に再上陸し、北上しつつある。
高尾夫妻、石川君にお世話になったお礼と別れを告げ、10時頃山中湖を立ち、途中ゆっくりしながら夕方5時に帰宅した。
明朝には台風が通過し、熱帯低気圧に変わっていたことから、絶妙のタイミングでの旅であった。