災害ボランティア活動('11.05)

ボランティアセンターの前で  東日本大震災のボランティア活動に参加してきた。
 本来なら友人たちと個人的にと考えたが、個人での活動には限界がある。そこで、県が募集する災害ボランティアに参加することとした。
 全国社会福祉協議会では、被災した県を支援するため、全国の都道府県を割り振りし、富山県は岩手県を支援することになっているそうである。
 今回は陸前高田市のボランティアセンターからの要請に応え、約20名の一般応募者とともに参加させてもらった。
厳美渓  4泊5日の旅程で、参加費用は2万円である。
 富山県庁を午前9時に出発し、北陸自動車道を北上。新潟県の荒川胎内ICで降り、R113を南陽市へ、そこで北上して山形蔵王ICで山形自動車道に入った。村田JCT経由で東北自動車道に入り、一関ICを降りて県が用意した宿「厳美渓温泉渓泉閣」に入る。実に9時間の移動で、午後6時になっていた。
 宿の駐車場には警察機動隊車両が4台駐車していた。この宿は、震災対応専門に使われており、観光客にはまだ遠慮していただいているそうだ。
 温泉は、ボランティア活動の疲れを取ることができて、私には大変うれしい。

矢作川に架かる鉄橋も  活動初日は、早朝6時45分にホテルを出発し、陸前高田市ボランティアセンター(以下VCと表示)に着いたのが8時40分である。
 被災者要望と、ボランティア希望とのマッチングを行っているのが、このVCの役割である。
 私たちは、矢作町のMさん宅に行くこととなった。この地区の世話役もしておられる大きな農家である。
 Mさん宅は、田畑を前面に、後方と両サイドを山に囲まれた屋敷であり、田畑の先には矢作川が流れている。
家の周りには車が3台  その矢作川沿いに津波がさかのぼり、堤防、田畑を飲み込みながら山にぶち当たって戻されたようだ。前方の山陰に堤防を乗り越えた津波が見えたことから、すぐに庭続きの山を駆け登って助かったとのことである。昭和35年のチリ地震でも堤防を乗り越えてくることはなかったとのこと。目の前で我が家が津波に飲み込まれ、乗り捨てられた乗用車3台が家にぶち当たるのを、その持ち主とともに見ていたそうである。
 家の軒下まで水に浸かり、津波の引いた後にはごみや瓦礫さらには5センチから10センチの土砂が堆積していた。私たちの活動はそれらの撤去である。

庭先の堆積土の掻きだし  ごみ類はレーキ(金属の熊手)でかき集め、燃えるごみ、木材、プラスチック、金属類などに分別して、一輪車で道路沿いに固めて廃棄する。水に浸かった畳や、布団類も軽トラで集積場に運ぶ。
 Mさんは結局、我々の活動期間の3日間ともVCへ要望されたので、2日目は庭の堆積土砂の搬出を中心に、3日目は前面の田畑のごみ拾いなどを中心に活動した。

 最終日には、道具一式をVCへ持ち帰り返却した後、市街地を視察した。一面焼け野原のような惨状である。重機が瓦礫を選別し、積み重ねている。ボランティアの活動の場ではない。
 一関市のショッピングセンターで風呂に入り、夕食をとってから帰路に着く。富山に着いたのは午前6時であった。