中学時代のクラス会

平成30年8月12日
今年は高見先生の傘寿をお祝いする会。
多くの参加者を期待したが、今年は残念ながら少なかった。
聖火リレーや、相撲大会など、往時の思い出話で時のたつのを忘れてしまう。
次回は我々が古希を迎える2年後の開催を目指す。

平成27年8月15日
今年のクラス会は高見先生の喜寿をお祝いする会。
幹事こだわりのくす玉割りで喜寿を祝う。
多くが第一線から離れ、県外からの参加者もこれから少しづつ増えてくるのが期待される。
今回はメキシコの仲間から、先生へのお祝いメッセージも届いた。
幹事長は3年後の傘寿を、もう計画している。
その2年後は我々の古希でのクラス会だとか…。
先生いつまでもお元気で。そして幹事長ありがとう。

平成25年8月15日
10回目という節目のクラス会を呉羽ハイツで開催した。これまでもほとんどこの呉羽ハイツで開催してきたが、今回は奇遇にも、私が支配人に就任したことから、是非にもとお願いした。


主幹事の入坂君にはいつもながら大変世話をかけている。しかし彼が幹事だからこそ、ここまで定期的に続いているのだろう。感謝、感謝である。

3年前のクラス会以降、2名が亡くなった。先生は勿論のこと我々も仲間が欠けていくことは寂しい限りだ。
先生は我々と一回り違いながら、老いて益々盛んで地域の世話役として活躍されている。

次回は2年後に、先生の喜寿の祝いを兼ねて開催することとなった。




平成22年8月14日
還暦という節目のクラス会。赤いチャンチャンコを着て、恩師に酒を注いでもらう。
また、「梅は寒苦を経て芳香を発し、人は辛苦を舐め大成す」と詠んだ恩師自作の詩も頂いた。

3年前の約束どおり、前回参加者のほとんどが参加し、さらに数人増えている。
還暦を迎えたこれからは、第一線を離れ地域活動や親の介護、孫の世話など、第2の人生に生きがいを見つけ活躍していく仲間が増えていくのだろう。
今回も、奥さんを亡くした者、親を亡くした者などがいた。さらに大病を患いながらも、このクラス会を楽しみに参加してくれた者もいる。

これからもこの会はずっと続けたいものだ。
先生は、「私が車椅子になって出て来れなくなったときには、我が家でやってほしいくらいだ。」と笑っておられる。





平成19年8月15日
今回で8回目のクラス会。5年毎の開催も今年からは3年毎の開催になった。
次回はちょうど還暦の年にあたる。先生は「その時には自分が皆を祝ってやる」といって笑っておられる。
クラス会に集まると中学時代がよみがえる。爺さん、婆さんになった顔だちの中にも、学生時代の生き生きした面影が伺える。
寂しいのは、また一人、病気で亡くなっている仲間がいたこと。先生は改めて「自分より先に逝ってくれるな」と訴えられる。これからもお互い健康に留意しながら、先生を囲んで、楽しいクラス会を続けていこうと思う。
節目となる次回のクラス会には、より多くの仲間に参加してもらいたいというのが、入坂幹事をはじめとした皆の願いだ。





平成16年8月14日
5年ぶりのクラス会が催された。今回で7回目である。
私はほとんど参加しているはずであるが、毎回、久々の参加者や、初めての参加者もいて、昔の面影や思い出がよみがえるまで結構時間がかかる。
高見先生は、第一線を退かれた今も、元気に過ごされている。私は、時折お目にかかることができるのだが、今年も仲間が一人先立ったことで、とても残念に思っておられ、先生より先立つことは絶対にないように約束してほしいとのことであった。
海外で活躍する者、県外で活躍する者など、多彩な職業と経歴を持つクラスのメンバーだが、それぞれいろんな悩みや苦労を抱えているはずで、語ることのできることできないことなどいろいろあるだろうが、このクラス会に出席することでお互い何かのきっかけをつかめればいいのだと思う。

団塊の世代である我々だが、まだまだ一花も二花も咲かせたいと思い願っている者もいるはずだ。孫の成長・教育に力を注ぎつつある方もいる。
昔のマドンナたちも素敵なおばあチャマたちになってきている。
今後は、3年毎の開催を約束したところだが、このクラス会がますます楽しみになりつつある。
なお、万年幹事長である入坂君には、いつも苦労をかけ申し訳ない。元気なうちは今後とも宜しく。