たんぽぽ

雨上がりの日曜の朝、散歩に出ようとする足元にさわさわとする草の気配を感じた。
指で足元を探ると、駐車場の入り口、排水路との隙間に一株の草が根を張っている。
こんな所に草が!連日の雨で、僅かな土の中でも元気に成長していたらしい。
いくら視覚障害とはいえ、玄関先に草が生えているのは余りにも不精で、来院される方々にも申し訳がない。何のためらいも持たずに取り除くことにした。

コンクリートの隙間に張り付いたそれは想像以上にしっかりと根を張っており、固くて手では抜けない。

白杖の先で削り取るように根を剥がして始末した。

家の入り口に草が生えていても知らずにいるとは、見えないとは何と情けないことだろうか。

30分ほどの散歩から帰宅して、朝ご飯の準備をしている妻に草取りの話をした。

「駐車場と溝の間に草生えとったから抜いておいたよ!知らなんだけ…?一仕事終えたと言う自負心もあり、いささか得意気な口調となっている。

「えぇ〜あれ取ってしもたがけ!あれ、草でなぁてタンポポやったがやぜ!」 妻の驚きとも落胆ともとれる声に私は暫し呆然。

タンポポ!心に陽をともすような 暖かな黄色い花。風に任せて綿毛を飛ばした記憶が一瞬にフラッシュバックする。

今更そんなこと言われても…次の言葉が見つからなかった。

「今まで何回も草が生えて取っとったけど、今年初めてタンポポやったから黄色い花が咲くのを楽しみにしとったがやぜ…」 いかにも口惜しいような、それでいて、呆れたと言わんばかりの彼女の声が続く。

「そんなこと知っとっかよそんならそうと、タンポポが咲いとると一言言ってくれれば良かったがに。黙っとってわかるかい」 悪いことをしてしまったと思いながらも、返す言葉に思わず力が入るのである。

昨年の夏のことである。どこの町内でも見かける光景だが、我が町内会でも道路に面した家々の前にプランタを配置して季節の花を飾っている。 そのプランタへの水遣りが我が家では私の仕事となっている。

1週間ほど猛暑の続いた或る朝、妻がぽつりと言った。

「プランタの花、とうとう枯れてしもうたね」

えっ、そんなはずはない。今朝もちゃんと水遣りしたし、花も元気そうだった!?

彼女の説明はこうだ。隣が空家で花の世話をする人がいないので、隣のプランタも家のプランタと一緒に横に並べてあると言うのである。

それで水遣りも当然一緒に行なっていると思っていたらしい。

こちらはプランタは一家に一つと思っているから、横にもう一つ並んでいても全く気付くことがなかったのである。

あわてて水撒きしたものの時既に遅し、砂漠にマッチ棒が4・5本。あわれな枯野となってしまった。

一時が万事こんな具合である。見える人と見えない人の立場は、物事の捕らえ方の相違は、かくの如く大きい。

見える人の間では視界の仲の全てが共有できるものなのだろうが、私達は言われなければ分からないことが多い。たとえそれが、すぐ目の前にあっても気付かない事が多いのである。

それにしても気の毒なのが一株のタンポポである。 これまでも、同じ所を毎日のように歩いていても見つからなかったのに、今日に限って私の足に触れるとは何という不運なのだろうか。

コンクリートの僅かな隙間に種を飛ばし、根を張り茎を伸ばし、いざ花を咲かせようという時に、無残にも引きちぎられてしまうとは。

あのタンポポはもう、気まぐれな風に乗って大空高く綿毛を飛ばすことはない。


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