2003年の正月は自宅で迎えた。
例年は、大晦日に里帰りしていたのだが、12月に発生した土砂崩れで道路が閉鎖されているため、正月の帰省は見合わせることにしたのだ。
正月に帰省しないと言うので、お節に餅、神棚の飾りや松までもが、母から届けられた。
おまけに、ガンドブリまでもが入っていたのだ。親心って本当にありがたいと思う。
家での正月は、実にのんびりとしたものだ。
元旦の0時丁度に、公園で花火がドドドーンと打ち上げられる。
これを耳にすると、表に出て、家の正面に向かって柏手を打って、一年の安泰を祈る。
まぁこれが、私の唯一の正月の儀式だろうか。
以前は、この後で氏神様に深夜の初詣に出かけた事もあったのだが、最近は早々に眠りにつくことにしている。
初詣の賑わいに心弾む思いもあったが、この頃では、それすらも苦痛に思えるからだ。
元旦は8時か9時に起きて、御神酒を頂き、雑煮を食べおせちを頂く。
飲んで食べてうとうと、テレビの正月特番を見ながらミカンでも食べながらゴロゴロと過ごす。
正月は、寝正月に限る…と思うのだが、如何だろうか。
11時頃に郵便受けがゴトゴト鳴ると、やおら起き上がって年賀状を取りに行く。
正月の、もう一つの楽しみが、この年賀状だ。
最近は、メール年賀なるものも出回っているようだが、日本の正月は何と言っても賀状だろう。
年賀状の束の中から点字で書かれたものを抜き出して、御神酒で少しぼんやりした頭と指でなぞる。
指先の点字から差出人の面影ならぬ、声が聞こえてきそうだ。
定例分だけの物が多いが、(あれをした。これがどうなった。それが何とした…)などと、日常の話題が一言でも書いて有ると、思わず口元がゆるむ。
人間とは勝手なもので、自分は大した事も書かないにも関わらず、相手からの賀状には、それを期待して読んでいるようだ。
「娑婆の事 娑婆に任せて 寝正月」
Tさんからの年賀である。
正に、私の今年の正月そのものと言ったところである。
今年の元日は、近年に無い好転だった。私の記憶では、10数年ぶりと思う。
あまりの好転に誘われて、うらうらと妻と二人、初詣に出かけてみた。今年も、この人のお世話になるのである。
住宅街では、ほとんど人出は無かったのだが、神社に近ずくに連れ、御夫婦に若者のグループ、縁起物を持った子供連れ…などで賑わっている。
いつもなら、昼の時間帯は比較的ゆっくりと参拝できるはずなのだが、どうやら皆さんも、この青空では家にじっとして折れない様子。
それとも、苦しい時だけの神頼みなのだろうか。
行列に加わり、拝殿正面に着くまで約20分。押し合い、へし合いの中、やっとの思いで正面に辿り着き、握りしめていた貴重な100円玉を賽銭箱へ、
後に続く参拝者の視線が気になり、心新たに、ゆっくり祈願するのも叶わないといった雰囲気である。
家内安全・家族健康・交通安全・無病息災・夫婦円満・商売繁盛・御家安泰・両親の長寿から親戚の合格祈願・日本経済の復興から世界平和まで。
思いつく限りの、ありとあらゆる事柄を祈ってきたのだが、はたして、神様に願いが届いているだろうか。