3年間の盲学校生活では、ほとんどが三味線を弾いていたようなものだった。
鍼灸の勉強よりも三味線の方に力を入れていたと言って良いほどだったと思う。
また実際に周囲からも、そのような調子で冷やかされていたものだ。
(山さん、来る所を間違えたんじゃないの?東北方面に行った方が良かったんじゃないの…)といった具合だ
幸いな事に当時の学校には民謡クラブがあり、誰に遠慮することもなく三味線を鳴らすことができたのも私には大変に好都合だった。
朝の授業開始前に30分、昼休みに30分、そして放課後に1時間と言う具合だ。毎日飽きることもなく鳴らしていた。
この時間と努力を鍼灸の学習に充てれば、もしかして名医になれるかも…などと時々は思ったりもしたが、そのような雑念?をも振り払って、只ひたすら三味線を楽しんでいたように思う。
その意味では学校でも評判の出来の悪い生徒だったに違いない。
(あいつ、また鳴らしてるよ。勉強もせずに…あきないのかね、まったく)なんてね
秋の学校文化祭や他校との交流で何度か演奏したことが、今では楽しい想い出の一つである。
あの頃は、若かったことや習い始めと言うこともあり、とにかく三味線がおもしろかった。何よりも楽しかったのである。
だから、半日でも一日中弾いていても飽きるという事は無かった。
好きなことをしている時って、そんなものではなかろうか。
時間なんか、あっという間に過ぎてしまうものだ。
かっこよく言えば、それほどまでに三味線の響きに魅了されていたと言うことになるだろう。
少しでも先生の音に近づきたい…と思って弾いていた。
今はもう、そんな根気も無く、日々の稽古もほとんどしなくなった。
ただ楽しみとして時々音を出すだけである。