ルール

私は、毎朝の散歩を日課としており、そして楽しみともしている。 日中のような騒音もなく、中途失明の私でも、五感をフルに働かせる事ができ、一人でも安心して歩く事ができるからだ。

家の周囲に、誘導ブロックの敷設や音声信号機の設置が進んできた事も、その大きな要因となっている。

今朝もいつものように、新鮮な朝の空気を感じながら軽快に歩を進めていると、いきなり、杖の先がガツンと何かに突き当たった。

乗用車である! 誰も乗っていないらしい。誘導ブロックの上に車を止めるなんて!

自転車、バイク、地ベタリヤンの若者たち、おしゃべり好きのオバタリヤン…と車に限らず、誘導ブロック上の障害物は結構多いものだ。

注意をしようにも辺りには人の気配がない。仕方なく、車道を回って歩道に戻ろうとすると、また一台、その横にも更に一台。3代も並んで歩道駐車しているのである。

翌日も同じ状況が続いた。 ドライバーのルールを正す事と、何よりも、自分の歩行安全確保のために、私は当局の協力を求めることにした。

後で分かった話だが、某、宗教団体のお勤めに集まった信者の車と聞いて、愕然とした。(人の道)を諭すのが宗教ではないだろうか? 開いた口が塞がらないとはこの事だろう。

早朝の、30分・1時間ほどなら構わないだろうと言う安直な考えだろうが、あまりにも身勝手な行動としか言いようがないではないか。


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