七草

七草が近づくと、毎年のように思い出す一コマがある。 それは、病院食の、お粥のことである。

20代の頃、眼の手術のために数度の入退院を繰り返していた。

あの頃の術後は要安静で、顔の両サイドに置かれた砂枕で、がっちりと頭を固定され、その状態で数週間を過ごすというものだった。

手足は、ある程度自由になるが、頭が固定されているということは、上半身もほとんど動かせないと言うことであり、正直言って、これは結構辛いものであった。

当然、病院食も刺激の少ない物と言うことで、「おもゆ」から始まり、一分粥、三分粥、五分粥…と飯粒が増えていくのだが、私は、この粥が苦手で、全く食べれなかったのである。

全身麻酔で身体が消耗していた事に加えて、あの「しょんない味」が、どうにも喉を通らなかった。

付き添いの母が、スプーンで一口ずつ運んでくれるのだが、その一口すら喉を通らない。

(一口でも食べよ!)と、母。

(いらん!)と、私。

(ちょっとだけでも食べんにゃ!)。

(何もいらん!)と、押し問答のあげく、けんかになってしまうのである。

味海苔や梅干しを少し混ぜて工夫してみても同じで、母を大いに困らせていた。 病人とは、わが身が自由にならぬばかりに、ついつい、わがままな行動をとるものであるらしい。

御飯なら食べれる。寿司なら、果物なら、冷たいアイスならと、十分を言って母に買ってきてもらうのだが、いずれを口にしても、二口食べれば良い方で、全くと言っていいほど食欲がなかった。

手術をして何にも食べれない私を前にして、田舎から一人看病にきている母の不安と悲しみは如何ほどだったと、当時の私は気付くはずもなかった。

ところが、今はどうだろう。少し塩味の効いた粥が、実に美味しく食べれるではないか。

七草になると、お粥にしようと言い出すのが、いつも決まって私の方で、病気じゃあるまいし、食べんでも良いちゃと言うのが妻の方である。

粥を美味しく感じる健康に乾杯。


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