模様替え

家人の突然の発案でダイニングの模様替えを行なうこととなった。
その提案に私は最初から乗り気ではなかった。 いや、むしろ反対だった。
それが、如何に自分にとって不都合があるか、行動に障害を及ぼすか、生活のリズムが狂うことかを知っていたからである。

模様替えといっても、テーブルを時計回りに90度向きを変え、冷蔵庫と炊飯器の場所を入れ替えたにすぎない。

たかがこれだけの配置転換と方向移動にすぎないのに私にはどうにも具合が良くない。

ビールでも…と思って一瞬考え、お代わり…で椅子につまづき、洗面所へ…と立ち上がって柱にぶつかりそうになり、鳴り響く電話に出ようとして、テーブルや棚に突き当たりそうになる。

慣れ親しんできた生活環境では、習慣適にと言うか、反射的に次の行動を起こしているらしい。

いささか疲れ気味の脳細胞でも、部屋の間取りや家具の配置、それらの方向や距離など、これまで積み上げてきた行動パターンが無意識の間にしっかりとコピーされているらしいのである。

盲人の場合、テーブルなどの家具に限らず、身の回りの小さな物を含め、家の中の全ての物の置き場所がパターン化され固定されているといって良い。

少なくとも、私はそのようにしているつもりだった。

醤油はここ、ティッシュはあちら、リモコンがどこそこで、栓抜きが棚の2段目…といった具合にである。

それゆえに、整理整頓の苦手な視覚障害者は、明けても暮れても一日を探し物のために時間を浪費する人生を送ることになるのである。

つい先日使ったはずの爪きりが見つからない。

確かここに置いたはず。と捜しても出てこない。

部屋中を手で探り足で探り回ったあげくに、所定の場所の奥の隙間に置いてあったりする。

「お〜い、かあさん、七味唐辛子が見つからん」と叫ぶと、テーブルへやって来た妻は、すぐ目の前にあるという。

手を伸ばしてもう一度捜すと、果たせるかな、隣の大きな器の影にちょこんと隠れていたりするのである。

僅かに指1本分離れていても、見つからないときには見つからないものなのだ。

パターン化して刺激の少なくなった脳細胞は老化が早いという。ダイニングの模様替えは錆び付いた脳細胞にカツを入れるものとして喜ぶべきなのかもしれない。


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