指揮者・天沼裕子さんを迎えて

8月8日 指揮者指導

市民音楽祭の指揮者・天沼裕子さんによる初レッスンが行なわれた。

会場は「ウイングウイング高岡」で音楽的環境は悪かったが、たいへんに充実した時間だった。

さすがに、天沼さんの指導は詳細であり明確だった。 美しいハーモニーを作り出すために音程をしっかり取ること。#や♭などの臨時記号の音を大切に歌うこと。

子音の発音ポイントをもっと前に置いて発声すること。言葉を大切にしてブレスの箇所を決めること。

それらのマークポイントを色鉛筆を使って自分の楽譜に書き込み、それらの色彩を利用して楽譜を読むことなどなど。

譜面の中の全ての記号や音符に対して天沼さんのモーツァルトを表現しているようだった。

専門的な用語も多く、私には半分も理解できなかったが、3時間のレッスンで合唱と言うものが少し理解できたように思えた。

ただ、録音していたはずのカセットレコーダーが電池切れで、半分も入っていなかったことが痛恨の極みである。

11月23日 指揮者レッスン

午後5時からの指揮者レッスンに参加する。演奏会まで後は土曜日のリハーサルと当日のゲネプロを残すのみとなった。

指揮者レッスンは8月に続いて2回目。今日の天沼産は少し厳しかった。まあ、それだけ気合が入っているともいえる。

というよりは、合唱団の仕上がりが遅れている証拠だろうと思う。

天沼さんの、オフェトリウム・レジナ チェリのテンポが速いのだ。私達の通常レッスンのテンポより相当速い。それで、そのテンポに乗れない。歌が遅れて合唱が重くなるといった感じだ。

「合唱のピッチに楽器は合わせられない。必ず、オルガンに、オーケストラのピッチに皆さんが合わせて歌ってください」と。

たしかに。指揮者とオケは一体だ。いつも遅れてしまうのは私たち合唱団である。

「子音をはっきりと歌うこと」。講師のm先生は、どちらかというと母音を重要視する指導法だ。

私の記憶では、これまでの指揮者の先生方は子音の発音を大切にする傾向が強い。

「子音をはっきり発音しないと言葉が客席に届かない」。そのためには、大げさなくらいに口を大きく、唇を大きく動かす必要がある。

外国語「ラテン語」の発音では子音は重要だと思う。メロディーや音階同様、私達はもっと言葉をアクセントを学習する必要があると思う。

母音を前に出すのではなく、頭の後ろに一度回してから前に送るようなイメージで声を出す。

ピアノは弱く小さく歌うのではなく緊張して注意深く歌う。

高音域を歌うときは背中を広げるように、低音域を歌うときは胸を上げるように歌う。

カタカナ言葉で歌わない。アヴェはアヴィ・レジナはリジナ・エグザミネはエグザミニと発音する気持ちで歌う…具体的で分かりやすい指導である。

「透明感、あたたかさ、イントネーション、横の流れ この四つを考えて歌うこと」などなど、演奏会までに1週間も無いというのに数多くの指摘があった。

プロ意識がはたらいて、つい、指導に熱が入ったと言う感じだ。 いい合唱にしたい。いい音楽を作りたいというプロの姿勢がうかがえる。

私達としても、その期待に何とか答えなければならない。

11月27日 リハーサル

午後5時から練習室で約30分の発声練習の後ステージへ。

初めてオーケストラと合わせる。アンサンブル金沢の生音はいい。さすがにプロの音である。

星川さんだったっけ?ソプラノソロも実に素敵だった。

合唱団はというと。やっぱりだめだった。オフェトリウムやレジナ チェリでは速いテンポに乗れず、どんどん遅れてしまった。

オーケストラの音に耳が慣れていないためかパートの音が良く聞き取れない。 おまけに、バスの目の前ではホルーンがパンパカパーンと勢い良く響いている。

トランペットなど他のラッパは客席を向いているが、どういうわけだか、ホルーンのラッパは後ろへ、つまり合唱団に向いているのである。

目の前のホルーンに惑わされてオーケストラが耳に入ってこない。

天沼さんはカンカン!「完全に歌いこみ不足です。練習の絶対量が足りません。」「こんなんじゃ、明日はとてもお客様に聴かされませんよ」と危うく切れそうだった。

各パートのパートリーダーが責任をもって積極的に歌うことと要求された

各人が自分に自信がないために互いに依存していることは事実だ。メンバーの一人一人が責任を持って積極的に歌わなければ成らない。

「指揮を振りながら時々目で合図を送っているのに誰も見ていない。誰も見てくれない」とも嘆いておられた。

指揮者を見るところでは、天沼さんの指示で、楽譜には「めがねマーク」が書き込んであるのだが、誰もそんな余裕はないようである。

皆は目で譜面を追っている。ここは、「めがねマーク」を見るのではなく「指揮者」を見るところなのだ。

オーケストラの音を聞いてから歌うのでは、楽譜を目で追いながら歌うのでは間違いなく0、数秒遅れてしまう。

指揮者を見てジャストのタイミングで歌わなければならない。 だが悲しいかな、私にはそれができない。

私はどうしてもオーケストラを聞いてから歌わなければならない。そして、それに合わせて自分でリズムを刻んで歌わなければならない。

幸にも私達にはまだチャンスはある。時間がある。 明日のゲネプロでどこまで詰められるかである。

本番では自分が何を成すべきか、何処を注意すべきか、音階に気をつけよう、言葉に注意しよう、姿勢に注意して歌おう。 これらの一つでも大切に心がけて、目標を持ってステージに臨むことが求められる。

11月28日 演奏会

45分間の演奏会はあっと言う間に終わってしまった。 出来は最悪だった。1箇所歌詞を間違えて飛び出してしまったし、リハーサルの課題だった途中のフーガの部分もオーケストラと合わなかった。

やはり緊張していたのだろうか、第1曲を歌い終えたところで足が棒のように硬くなっていた。

観客には私達の合唱がどのように聞こえていたのだろうか。率直な評価をいただきたいと思う。

ステージで歌うのと、客席で聞くのとでは大きな相違があると思う。 出来ることならば、観客の一人として自分達の合唱を一度聞いてみたいものである。

指揮者の天沼さんには結して満足のいく合唱ではなかったと思うが、5月から6ヶ月間に及ぶレッスンの集大成でもあり、開放感と安心感と達成感と満足感が満ちていた。

毎年新しいミサ曲に挑戦し、半年のレッスンで演奏会に歌うことはかなり厳しい。 ましてや、高齢化しつつある??我が合唱団では、なおさらのこと。

だが、刺激を求めて、「まぁ、こんな程度でいいか…」ではなくて、目標を高く、自分に厳しく、自分にあまえない。そんな姿勢で今後の合唱に臨みたいと思う。


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