1月11日が一般的に鏡開きとなっているが、我が家では正月から早々に鏡開きを行うことが通例となっている。
毎年大晦日になると、母から、おせち等と一緒に鏡餅と切り餅が届く。
3人しかいないのだから、鏡餅は小さいのを少しでいいよと言ってあるのだが、母には、こちらの思いがなかなか通じないようで、
「おー わかったわいえ、小さいがに しとくちゃ」と言いながらも、いつも大きめの餅が、たくさん送られテくるのである。
とりあえず一度は、神棚に床の間、台所に治療室 子供部屋などに、お決まりの形式で御供えする。
鏡開きは、旧年の無事を神様に感謝しながら、神様に供えた鏡餅をお下がりとして頂く儀式。餅を食べる者には力が授けられると言われている。
つまり、飾るだけでなく食べてこそ鏡餅の意味があるということだろう。
そこで我が家では、神棚を除き、正月二日の朝から早々に餅を頂くことになる
元日の朝の雑煮に始まり、昼に餅、夜に餅、そしてまた、朝に雑煮と言うわけだ。
最後の砦の神棚も、三日の夜には あえなく陥落となってしまうのである。
11日の鏡開きまで待つと、餅が固くなりすぎたり、黴びたりして食べれなくなるので仕方がないのだが、それにしても、連日の餅攻めには正直言って参ってしまった。
餅はきらいではない。どちらかと言えば好きなものの一つだ。
つきたての熱々の餅を、大根おろしでいただくなんていうのは格別だ。
だが、しかし…である。
(あ〜、白い飯が食いたい)と心底から思う。
今年は正月を家で過ごすと言うことで、餅もいつもより沢山有るとか!!
何という有り難〜い気配りなのだろうか。
う〜、親心に涙・涙・涙である
「こうも毎回餅ばかりじゃ、いいかげん嫌になるな」などと言うと、
「どうする、じゃー捨てようか」と妻が、すかさず言う。
せっかく母が作って送ってくれた物を、そう簡単に捨てるわけにはいかない。
無論、妻とて同じ思いだろうが、こちらの気持ちを見すかしたような彼女の一言である。
食べてこそ値の有る鏡餅。
捨てるなんてことは、律儀な私には恐れ多い事であり、まるで拷問のような餅三昧の三ヶ日となってしまったのである。
一年の計は元旦に有りとか。今年は食で苦しめられる予感すらする。