正月のもう一つの楽しみと言えば箱根駅伝である。
大して面白くもない正月特番の中で、この箱根駅伝だけは毎年のように見ている。
考えて見れば、母校でも無ければ親戚の子供がランナーとして出場している訳でもなく、ただずらずらと6時間近くも走り続けているだけなのに、何が面白くて見てしまうのだろうか。
私の場合は、ごろごろ寝正月の時間つぶしに格好の番組でもあるのだが…
そもそも駅伝と言う競技は、日本で生まれた競技のようだ。
箱根駅伝を初めとして、実業団駅伝に都道府県駅伝、高校駅伝から地方の市町村駅伝と実に多くの駅伝が開催されている。
そしてそれらの多くがテレビやラジオを通して生中継され、多くの日本人が楽しんでいる。
欧米で駅伝が行われ、マスコミが放映して、それぞれの国民が熱中している等という話は、ほとんど耳にしたことがないといっていいだろう。
なぜ日本人は、これほどまでに駅伝が好きなのだろうかとテレビを見ながら考えてしまう。
思うにこれは、島国・村社会・連帯感・郷土愛、母校愛…と言ったような国民性が大きく関与しているのではあるまいか。
或いは、母校の名誉のため・何が何でも襷を繋ぐ、誰よりも早く走りたい、自分の限界に挑戦する、自分の限界を知りたい…と様々な思いで苦痛の表情を浮かべながらも、ひたすら懸命に走り続ける選手達の(こころ)に感動する東洋的美学に引きつけられるのだろうか。
酔い年を、寝正月で過ごしている私の心の中は少し違っていたようだ。
レースの中に、ドラマをハプニングを期待している。
下位チームがごぼう抜きでトップに立つとか、先頭チームが大ブレーキでずるずる後退するとか、とんでもない区間新が出るとかである
今年の箱根駅伝は駒沢大の連覇がかかっており、優勝候補の筆頭とされていた。
こんな場合、私は他校を応援したくなる。いわゆる判官びいきと言うやつで、優勝候補と騒がれる強者を楽に勝たせたくないのだ。
勝つにしても、最後の最後まで、もがき苦しんで勝つ…というシーンを期待している。
今回は正に私の期待通り、山梨が先行し駒沢が懸命に追い駆けるという展開となった。
あのまま山梨が逃げ切れば万万歳だったのだが、御承知の通り、9区で追いつかれ、あっさり追い抜かれ終わってみれば駒沢の底力を見せつけられたレースだった。
しかし、私は素直に彼らを祝福してはいなかった。
もっと追いつめられた彼等を、苦しむ彼らを見たかったのだ。それを期待していたのである。
「人の苦しみ」を期待している、もう一人の自分がいる。