「今日は冷蔵庫の残り物で我慢しようよ…」
つい先ほど買い物に出かけたばかりの妻が、5分も経たない内に帰ってきたのだ。
車道も歩道も関係なく、ほとんど誰一人歩いた形跡が無くて、とても買い物に行けそうにないとのことである。
元旦を何年ぶりかの好天で喜ばせておいて、今朝のドカ雪には本当に驚かされた。
気象台の発表では高岡で65センチの降雪があったとか。最近にない大雪だ。
おそらく、10数年ぶりのドカ雪に違いない。おまけに日曜日と重なって、なかなか除雪車が回ってこない。
だけど除雪車が回って来るのも善し悪しだ。家ノ前の道路を、きれいに除雪してくれるのは有りがたいのだが、その度にカチンカチンに押し固められた雪の固まりを土産に残していく。近所の誰に聞いてもブーイングだ。
以前から感じていたのだが、道路の除雪は機械設備が整っていなかった昔に比べ格段に進んでいるのに対し、歩道は どうしても後回しにされてしまう。
各自治体も歩道用除雪車の購入を勧めているようだが、機械があっても操作する人員が不足しているというのが現状のようである。
歩道の除雪が後回しになるから、老人や子供・自転車など歩行者はやむなく車道の端を歩かざるを得ない。
しかしこれは、歩行者は無論のこと、ドライバーから見ても非常に危険だ。
事故報告が聞こえてこないのが不思議なくらいだ。
雪の時期には滅多に外出しないようにしているのだが、やむなく車道を歩く際は、神頼み車頼みである。
「ここにいるよ、歩いてるよ、ちゃんと見てね」と心の中で呟いている。
白杖も、これ見よがしに心なしか大きく動かしている。
車道の両端に続く、うず高く積まれた雪の壁にも悩まされる場合がある。
まっすぐに歩く時こそ杖のガイド代わりにもなるが、ひとたび歩道側に行く場合は、この壁を乗り越えなくてはならないからだ。
先日妻と出かけた際に、この雪の壁を乗り越えるはめになったのだが、たやすく登れるものではない。
杖を支えに、妻に引っ張られて、ようやく乗り越えることができたのだが、その姿たるや、さぞかしこっけいだったことだろう。
ところがである。苦労の末に下りた場所が消雪でできた深い水溜り。
慌てて足を運んだ場所が、これまた雪深い歩道で立ち往生してしまった。
昭和に入ってから、2年 20年 38年 56年と18年毎に大雪となっている…とマスコミが騒いでいる。
近年の暖冬続きで、大雪なんか有り得ないと誰しもが思っていたから、町中がパニックとなっているようだ。
北陸の地にあって、大雪を忘れつつある人々に自然が警告を発しているようにも思える。
親雪・克雪・利雪などと言われて久しいが、除雪車の「置き土産」といい歩道の除雪のあり方など、弱者に優しい除雪方法は見つからないものだろうか。