出稼ぎ

昭和30年代のことだったろうか、農閑期の冬になると村の父親達は大阪や名古屋へ出稼ぎに行った。
その多くは建設や土木工事の季節労働者として働いたようである。

母親達もまた、紡績工場などで冬を送ることもあった。

地元では仕事が無かったから現金を得るためには当時としては仕方がなかった。

物心のついた頃からの恒例であり、どこの家でも同様だったから淋しいとは思わなかった。

むしろ、正月や春になって、珍しいお菓子や土産をたくさん持って帰ってくる父の姿を楽しみに待っていた。

昭和50年頃、学校を終えて就職した会社に、毎年の冬になると能登方面から男州が、あるいは夫婦が出稼ぎに来ていた。

家の方では既に出稼ぎが消えていたこともあり、懐かしくもあり以外でもあった。

子供の頃には感じなかったのに、出稼ぎの彼等や田舎で待っている子供や家族はさぞかし寂しいだろうと思った。


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