暗譜について  ・その1

私は盲人であるが故に、入団の第11回ミサ曲から必要にせがまれて暗譜して歌っている。

メンバーの多くが楽譜を見ながら歌っているが、私からすれば、なぜ暗譜しないのだろうかと思う。

楽譜に頼ると、顔も下向きとなり声も前に出てこないのではなかろうか。  楽譜を見ているとそれだけ音楽に集中できないと思う。

譜を追いながら歌っているうちは、パートと息を合わせることはなかなか難しいように思う。

その良い例が私のカラオケだろう。  私も時々カラオケで歌うことがあるが、いくつかのレパートリーも、ほとんど歌詞を覚えていないために同伴者に歌詞を読み上げてもらいながら歌っている。

そのために、次の歌詞を聞き取ることに気がいってしまい、音が外れるは、テンポが早くなったり遅れたりで大変なことになってしまうのである。

一人で歌うカラオケでさえが、このような状態だから、オーケストラをバックで歌う4声の合唱では暗譜ができていないとすれば言わずもがなであろう。

暗譜に自信のある曲は思いっきり歌えるが、そうでない曲では、まちがえたら恥ずかしい、音を外したらかっこ悪い。と遠慮してしまって声も出ないものだ。

指揮者への意識も弱くなり、彼の音楽の意図するところを、表現を見落とすことにつながるのではないだろうか。

暗譜すれば必然的に指揮を見るようになるから音楽の表現が広がると思う。

ところが驚いたことに、暗譜をすることが一番よくない、という意見もあるとか!

その理由は明らかではないが、私などには全く理解できない考え方である。

指揮者にしたって毎回同じ指揮とは限らないですし、本番なんて何が起きるかわかりません。


エッセイトップへ

ホームへ。