File Created Date 00/09/09

 

モーセの十災(後編)

 


ある者は洪水で死に、他の者は大火で焼き滅ぼされた。
――アレキサンドリアのフィロン


◆暗闇の災い

 主はモーセに言われた。「手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい。」モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。(出10:21−23)
 
 天空に輝く巨大な竜――ティフォン彗星による宇宙災変もその最大の大接近によってクライマックスを迎えようとしていた。凄まじい気候変動が全地を襲い、海洋は巨大な波頭を上げ、多くの火山が噴火し、毒々しい巨大竜巻が地をのたうち始めた。ラビの古文書によれば、大嵐が七日間吹き続け、地上は暗闇で覆われたとある。特に、第四日、第五日、第六日、すなわち出エジプト記でいう“三日間”には、暗闇が殊のほか強く、エジプト人はその場から動くこともできなかったという。エジプトとパレスチナとの境にあるエル・アリシュで発見された黒色花崗岩には、象形文字で刻まれた碑文が残されている。その内容は奇妙にも聖書に記されたエジプトの天変地異と符合する。
 
 「九日の間、誰一人宮殿から離れられなかった。そうしてこの動乱の九日間というものは、人も神(王族)も、傍らにいる人の顔が見られないほどの嵐だったのだ。」ラビの古文書にある七日間との日数の違いはあるが、時を測る手段がなかった暗闇の災いにおいて、当時の人々の自己本位の評価を考慮に入れれば、多少の違いは目をつぶることができる。暗闇の災いの正体は、おそらくポールシフト!ポールシフトが起これば、地域にもよるが、太陽の運行に異変が起こったように見えるのだ。エジプト南部のスダン地方の民族は、夜が終わりにならなったとの口碑を持っている。フランシスコ・デ・アビラがペルー人から聞いた伝説には、かつて山を覆うほどの大洪水が襲い、五日の間、太陽は姿を現わさなかったとある。
 
 同じく、中米コリャオ地方の伝説によれば、太陽が昇らず大地が暗闇に包まれていた時代に、創造主はとてつもない大洪水によって人々を滅ぼしたという。ポールシフトが起これば、当然ながら凄まじい大津波が陸地の奥深くまで襲いかかるだろう。サントリニ島が噴火したのも、おそらくこの時ではないだろうか。というのも、カイウス・ユリウス・ソリヌスは、「オーギュゴス時代に起こったと伝えられる洪水の後で、重苦しい夜が地球全体を蔽った」と書いているからだ。オーギュゴス洪水に関しては後ほど説明する。フィンランドの叙事詩カレワラによれば、かつて太陽と月が空から盗まれて鉄の岩の中に封印され、地上から光が消え失せたことが記されている。その後、太陽は開放され、再び空に輝いたという。
 
 しかし、暗闇の災いがポールシフトによって引き起こされた単なる長い夜ではなかったことは、聖書に“人がそれを手で感じるほどに”とあることで分かる。ラビの古文書には、「灯の光も、あらしの烈しさで消されてしまうか、あるいは暗闇の濃さで見えなくなるか、または呑み込まれてしまった…中略…誰も話をすることも聞くこともできず、食物を取ろうとすることさえできなかった。」と記録されている。これはただの闇ではない。光を吸収する闇、ブラック・プラズマである。プラズマとは原子核と電子がバラバラになったソリトン状気体のことだが、電子が原子核の周囲を行きつ戻りつしたとき脱励起現象によって烈しい発光が起こる。
 
 光そのものといえるプラズマであるが、この宇宙が必ず陰陽に代表される二つの根本的な対立原理から成り立っている以上、吸光する特殊なプラズマが存在したとしても不思議ではない。実は出エジプト時と同様な現象は近現代でも起きているのだ。1763年8月19日、イギリスのロンドンが突如、墨を流したような深い闇に蔽われた。当時の記録には、蝋燭やランタンをかざしても、その光はまったく見えなかったとある。世紀が変わって1884年4月26日、今度はプレスタンで暗黒の嵐が再来し、真昼にも関わらず街中を深い闇で蔽い尽くし人々を驚愕させた。当時の新聞は真っ黒なカーテンが世界を蔽い尽くしたようだと報道している。暗黒プラズマの発生原因は不明だが、あるいは地球磁場や磁力線の変調と関わっている可能性もあるだろう。

◆オーギュゴス洪水の正体

 ギリシャの哲学者プラトン(前427−347)が最晩年に書いた未完の本に『クリティアス』および『ティマイオス』がある。未完と呼ばれるのは前ニ書の締め括りとなるはずだった『ヘルモクラテス』を執筆する前にプラトンが逝ってしまったからだ。両書に記されたアトランティス物語は、ギリシャ七賢人の一人ソロン(前638−559)が前590年頃にエジプトを訪れた際にサイスの神官から聞いた話として展開されている。むろんアトランティスとは知る人ぞ知る、一時は繁栄を享受したが、1日と悲惨な一夜で海中に没してしまったというかの伝説の島のことだ。アトランティスの正体がサントリニ島及び大洪水と地震で滅びたクレタのミノア文明であることは、別項で説明した。
 
 ここで話題に挙げるのはアトランティス伝説ではなく、サイスの神官がソロンに語ったもう一つの大破壊――大洪水で滅びたギリシャの古代文明のことだ。ティマイオスの物語の一部をここで引用しておく。「高貴で偉大なことや、いずれにしてもまともなことが起こった場合には…略…私たちの国(エジプト)ではそれらの古いものがすべて記録され、寺院の中に保存された。しかしあなたたちや他の国々では、文字その他の文明国が必要とするものをいつも新しく用意しなければならなかった。このために疫病のように間を置いては天から洪水がやってくると、それは人々の上へ襲いかかり、文字を持たずまた教養を持たない人だけをその後に残した。
 
 したがってあなたたちはいつまでたっても子供のようなもので、この国あるいはあなたたちの国で古い時代にどういうことが起こったかについての知識をまるで持っていない。…略…まず第一に、あなたたちはただ一つの洪水だけしか覚えていない。しかし実際には数多くの洪水があった。次ぎにあなたたちは、あなたたちが現在住んでいる土地に、人間の中で最も高貴でまた最も完全な人々が住んでいたことを忘れている。たまたまとり残された小さな芽から、あなたたちおよびあなたたちの町が生まれ出たのである。…略…ソロンよ、水による大破壊が来る前の時代には、アテネの国は戦いの際には最も勇敢であり、その他の点でも優れた組織をもっていた。」
 
 神官が語った“ギリシャ以前のギリシャ文明”“大洪水以前のアテネ”とは、クリティアスやティマイオスに登場するアトランティスの敵国――アトランティスと幾度も戦い、ついには屈服させたという伝説の都市国家アテネと考えて間違いない。実際にその国がアテネと呼ばれていたか否かは別にして、確かに前1200年頃、ギリシャにはすでに高度な文明が発達しており、伝説として吟遊詩人たちが語り継いだ“トロイ戦争”も起こっている。それを裏付けるように1873年にはシュリーマンによってトロイの遺跡が発掘されている。神々の時代における勇猛なギリシャ軍の存在は『イーリアス』や『オデュッセイア』にも記録されており、アトランティスの正体であるミノア文明の繁栄期とも一致する以上、神官の話しは誤りではなかったことになるのだ。
 
 アトランティス沈没と同時期に、古代ギリシャの文明が突如襲った大洪水によって破壊されたとあるのは無視できない記述である。サイスの神官は次ぎのように述べる。「人類を滅亡させるものは、今まで数多く、かつ種類も多かった…略…実際に、あなたの国にもわたしの国にもこんな話が語られている。昔、ヘリオスの子フェートンが父親の車を馭したが、父親のいつも行く道に沿って馭していくことができなかったので、地にあるものすべてを焼き尽くし、彼自身、雷によって死んだという。この物語は伝説の形をとっているが、その実は地をめぐっている天体がずれ、物凄い火事によって地上のものが滅亡したのである。」――今更確認するまでもなく、フェートンの正体はティフォン彗星(金星)である!
 
 ティフォン彗星が地球に大接近した際、凄まじい電磁嵐が全地を襲い、膨大なエネルギーは灼熱の大気プラズマに変じてあらゆるものを焼いた。その他、古代ギリシャの伝説の中には、二度にわたる巨大な大洪水に関する記述があり、プロメテウスの時代のものを“デューカリオーン洪水”、それより後の時代のものを“オーギュゴス洪水”と呼び習わしている。興味深いことに、古代ギリシャの学者たちは、その中の一方が起こったのはフェートンの大火と同時代であったと書き記している。デューカリオン洪水の物語――デューカリオンが妻と共に箱舟に入り、大洪水を切り抜けてパルナッソス山に漂着したという逸話――は明らかに旧約聖書に記されたノアの大洪水と酷似しているので、約4500年前の出来事と考えていい。
 
 では、それより後に位置するオーギュゴス洪水が起こったのは、はたしていつ頃なのだろうか?そう、それは出エジプトの時代――約3200〜3300年前の出来事だったのである。ユリウス・アフリカヌスは「多くの人々が死んでいる時に救われたオーギュゴスは、人々がモーセと共にエジプトを出た時に生きていたと、我々は確信する」と書き残している。実際、先述したようにサイスの神官はアトランティスの滅亡と前後して、ギリシャの古代文明も大水で破壊されたと語っている。とすれば、オーギュゴス洪水の正体は、ティフォン彗星の大接近によって引き起こされたサントリニ島の沈没と、同時に起こった巨大な大津波に他ならず、エジプトではアトランティス伝説としてギリシャではオーギュゴス洪水として伝えられた大災変は同一の出来事だったことになるのだ。

◆最後の災い

 真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。(出12:29−30)
 
 最後の夜、神の御使いがエジプトを訪れ、そこに住むすべての初子を殺した。イスラエル人は鴨居に羊の血を塗り目印としたので、御使いは彼らの家を過ぎ越し、イスラエル人の初子が死ぬことはなかった。彼らは変りに子羊を犠牲として屠り、その夜を“過ぎ越しの祭り”として民族の記念日としたのである。最後の災いは天変地異によって引き起こされたものではなかった。聖書にあるごとく、殺戮の天使が超常的な力で人々を襲ったのだ。天使の正体に関しては主題が異なるのでここでは触れない。ただし、古代ユダヤの伝説によれば、過ぎ越しの夜に起こった最後の災いは初子の死だけではなかった。ファラオを恐怖に陥れたのは、エジプト全土を襲った凄まじい大地震だったのである!
 
 イプウェルの訓戒――ヴェリコフスキーのいう“パピルス・イプアー”には次ぎのように記されている。「たまげた。大地はろくろのようにぐるぐる廻る。」(2:8)「家々は一分間でひっくり返った」(7:4)「騒音の年々。騒音は止む時なし。」(4:2)「おう!大地は騒音をやめんことを。騒ぎは早ばや果てなんことを。」(6:1)地下の騒音とは絶え間なく続いた地震の音響のことであろう。この大地震によって王宮は崩れ落ち、町は廃墟と化した。ファラオの子供も民衆の子供も囚人の子供も死んだ。「ああ、王子たちの子供らは壁に投げつけられた。」(4:3)「ああ、王子たちの子供らは街路に放り出された。」(1:12)「獄舎も崩れた」(6:3)人民たちは恐慌に陥り、災いの種であるイスラエル人に財産を投げだした。
 
 この夜、エジプトは恐怖と嘆きの町と化した。「国内の至る所で、悲嘆に混じって、うめきが聞かれた。」(3:14)旧約聖書には記されなかった地震の災いについて、神学者エウゼビオスは古文献を引用して以下のように語る。最後の災害の夜に雹と地震。それで地震から逃げ出した者は雹で殺され、雹を避けて隠れ場所に入った者は地震で潰された。家々がことごとく倒れ、多くの寺院が潰れたのはこの時である。主の過ぎ越しはアヴィヴの月の第14日の夜(出12:6)。イスラエル人はこの夜を記念すべき日として聖別した。一方で、エジプト人はサウトの月の第13日をホルスが魔神セトと闘いをした日として恐れた。イスラエルのアヴィヴはエジプトのサウトであり、日没を1日の単位として数えるイスラエルの14日はエジプトでは13日となる。

◆紅海割れの奇蹟とフェートンの大火

 モーセの十災とは血、蛙、ぶよ、あぶ、疫病、腫れ物、雹、いなご、暗闇、初子の死と続く一連の災いのことである。しかし、人々の記憶に最も印象的に残っているのは、これら十災には含まれていない壮大な神のスペクタクル――紅海割れの奇蹟であろう。最後の災いが起こった夜、預言者モーセは60万人のイスラエル人を引き連れてエジプトを脱出した。彼らが海辺で宿営していた時、一時は奴隷の解放を容認したファラモも再び心を頑なにしてイスラエル人を追跡。ついに、彼らを追い詰めた。前には広大な紅海が波を荒げ、背後にはファラオの軍勢が押し寄せる。背水の陣とはこのことだ。絶体絶命のピンチにモーセは神に祈りを捧げた。
 
 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。…略…モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。(出14:21−27節)
 
 激しい東風と潮汐作用による大規模な引き潮によって紅海の深さはずっと浅くなっていた。そこにティフォン彗星の接近による巨大な電磁嵐が加わり、地球上のあらゆる場所は灼熱のプラズマで焼かれた。旧約聖書の記録によると、紅海割れが起こる直前、イスラエル人の先頭に天を突く不気味な雲柱と火柱が現れたという。雲柱というと竜巻のようだが、両者の正体は大気プラズマが筒状に変形したものに他ならない。さらに興味をそそるのは聖書の中の次ぎのような記述である。イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立ち、エジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。(出14:19−20)
 
 
真っ黒な雲は暗黒プラズマ現象、その闇を切り裂くように出現したのは光を放出する通常のプラズマ現象である。では、神の御使いとはいったい何なのか?天使のことだろうか?いや、そうではない。神の使者として遣わされたティフォン彗星こそがその正体である。天空に輝く眩い光は常にイスラエル人を見守り、エジプトに裁きを下してきた。その意味で、彼らにとってはまさしく神の御使いだったのである。もっといえば、惑星も一種の生命体であり、自分より上位の者の命を受けた時に、眠りから目覚めて定められた活動を開始する……話しを戻すが、物理的に考えて仕切りもなしに紅海割れの奇跡を演出することなど可能なのだろうか?
 
 それが可能なのである。外部から強い磁場をかけることで、実際に水を壁のようにそそり立たせることができるのだ。一般に水には磁気はないと言われるが、実は分子レベルでの僅かな磁気を持っており、強力な磁場にさらされた場合、それに反発するような方向に磁場を分ける。九州大学工学部の生体情報システムのグループは特殊な超伝導マグネット装置を用いることで、規模こそ小さいが紅海割れの奇蹟を再現することに成功している。誕生したばかりの金星は大規模なプラズマに包まれており、地球に大接近した際に凄まじい電磁嵐を引き起こした。至るところに雲柱と火柱が林立し、鉄製の車軸受けを用いていたエジプト軍の戦車を磁力によって破壊した(出14:25)。
 
 凄まじい電磁嵐はまた世界中を未曾有の業火で焼き尽くした。電磁波が天体間で無限交差した結果、数千度を越える灼熱の大気プラズマが発生したのである。神学者アウグスティヌスの著書『神の国』には、古代の著書からの引用として次ぎのような言及がある。「プラウトゥスによってウェスペルゴとよばれ、ホメロスによってもっとも美しいといわれてヘスペロスとよばれたところのよく知られたウェヌスの星(金星)におどろくべき前兆が現れた、とカストルは記している。その星は、色や大きさ、かたちや進路を変えるのである。これは、これまでにけっしてなく、これからもけっしてないであろう。このことは、キュジクスの有名な数学者アドラストスとネアポリスのディオンによれば、オギュゴス王の治世におこったといわれている」。
 
 アウグスティヌスの残した記述は、恐ろしいほど他の文献の記述と符合している。オーギュゴスの治世に世界中の人民を震撼させた不可解な天体の正体はティフォン彗星しか考えられない。金星がしばしば彗星と混同されていた事実を考え合わせると、ティフォン彗星=金星であることがわかる。さらにオーギュゴスの治世とは、ティフォン彗星の接近によりオーギュゴス洪水が起こったことを示唆している。ここで想起すべきはサイスの神官が語った地をめぐっている天体がずれ、物凄い火事によって地上のものが滅亡した、という伝承だ。“地を巡っている天体”とはここではギリシア神話のフェートンを指しているが、その天体が通常の経路から外れ、天空を疾走したことで世界中を焼き尽くしたという。
 
 先述したように、フェートンの大火はオーギュゴス洪水と同時期に起こった。すなわち、金星=ティフォン彗星=フェートンであることが分かる。そのことを裏付けるように、パラティン図書館長でありオヴィディウスの友人でもあったヒギヌスは、世界の大火を引き起こしたフェートンがジュピターの雷に打たれた際、太陽によって惑星の間に列した次第を書き残している。さらにクレタ島でも、太陽の車の不幸な馭者をアテュムニオスの名で呼び、宵の明星として崇拝していた。フェートン物語を手がけている学者は数多いが、彼らは一様にその時起こった世界の大火、火山の噴火、川の沸騰、海の消失、砂漠の誕生、島の出現らの天変地異について言及している。
 
 かつて世界を焼いた大火は、インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』の中にも記録されている。そこには英雄アシュヴァッターマンが神々さえも抵抗しがたいアグネアの武器を発射することで、敵の軍勢を一瞬のうちに焼き滅ぼした次第が描写されているのだ。バーラタ戦争の詳細に関しては機会を改めて述べるが、単なる想像上の物語でないことは断言できる。実際、ガンジス川流域のラージマハル地方には、高熱で焼け焦げた無数の遺跡が発掘されており、また、凄まじい高熱で溶解したことを示唆する中空の岩塊も発見されている。さらに、ずっと南のデカン高原にも、調度品がガラス状になるほどの高熱破壊の跡が見られ、通常の50倍以上の放射能を持った人間の骸骨がいくつか見つかっている。

 かつて、エジプトを撃ち滅ぼし、サントリニ島を水底に沈め、ギリシャを大洪水で破壊し、インドを灼熱の大火で焼き尽くした未曾有の天変地異が起こった。我々は現在、旧約聖書の出エジプト記や、プラトンが書き残したアトランティス伝説、ギリシャ神話、インドのサンスクリット語文献などからその破壊の一端を窺い知ることができる。

 神学者アウグスティヌスの著作『神の国』(18巻8章)には次のような記述がある。「それにたいして、ミネルウァはかれらよりもずっと古い時代に属しているのであって、じっさい、かの女はオギュゴスの時代に、トリトニスと呼ばれる湖の近くで若い娘の姿で現れたと伝えられているからである。そこからして、かの女はトリトニアともよばれたのであった。」ローマ神話の女神ミネルウァは、ギリシャ神話における武勇の処女神パラス・アテナと同一視される。
 ヴェリコフスキーはアテナの正体はモーセの出エジプト時に現れたティフォン彗星であると考えており(パラスには彗星という意味がある)、またその彗星は現在われわれが金星と呼ぶ天体であると主張している。先述したように、オギュコスはモーセと同時代を生きた王であり、アウグスティヌスが引用したウァルロの記録(『ローマ人の種族について』)によれば、彼の治世中、天界に一大異変が起こり、金星の経路やかたち、色、大きさに空前絶後の変化があったという。ミネルウァがオギュゴスの治世に現れたとは、まさしくティフォン彗星=金星の誕生を暗示していると考えてよい

◆補足(フェートン神話について)

 フェートンの大火については古代ローマの詩人オウィディウス(前43−後48)がその作品「メタモルフォーセス」の中で詳しく描写している。フェートン(パエトン)は太陽神アポロンの息子であり、あるとき、彼は父におねだりして太陽の戦車を御させてくれるよう頼んだ。太陽の戦車とは太陽神アポロンが天空を移動する際に御す由緒ある馬車であり、それはまさしく天空を横切る太陽の運動原理そのものであった。それを借りるとは、フェートンが太陽の代わりを務めることを意味する。最初、アポロンは馬車を貸すことをしぶったが、フェートンの執拗な懇願に押され、不安を感じながらも許可してしまう。
 フェートンは軽快に馬車に乗り込んだ。しかし、馬たちは手綱を引くものが本来の主人であるアポロンでないことに気づくと、さながら無人の車のように暴走を始めた。馬車は踏みなれた道をはずれて、フェートンがどんな努力をしようとも正規の進路を走ろうとしない。フェートンは後悔の念にかられ、後戻りできない恐怖に膝が震えた。
「馬たちは進路をそれ、誰に妨げられることもなしに、未知の空間を進んでゆく。勢いにまかせて、どこへでも、やみくもに暴走するのだ。高い空にちりばめられた星たちにぶつかったり、道なきあたりに車をさらっていったりする。」「焼けた雲が、煙を噴いている。土地は、高ければ高いほど、裂けて割れ目を生じ、水分を奪われて干上がっている。牧草は白茶け、木々は葉とともに焼けて、乾いた穀物は、みずからの災禍に油をそそいでいる。」「大きな市々が、城壁とともに滅び、さらに火の手は、すべての国々を住民ごと灰にする。森も、山もろともに燃えあがる。」
 オウィディウスの言によれば、このときエトナ山は噴火し、ハイモス山は焼け、パルナッソス山も、神々の集うオリュンポスも、アルプス山脈も、アペニン山脈も燃えたという。オウィディウスは詩作家であるため、基礎となるギリシャ神話を骨子としても誇張したり創作したりした部分が多分にあるだろうが、少なくともこうしたフェートンの大火がかつて起こった災禍として古くからギリシャ人に“事実”として信じられ、伝説として語り伝えられてきたであろうことは、プラトンがティマイオスで触れていることからも疑う余地がない。オウィディウスの言葉によれば、大火が襲ったのは決して一地方ではなく、ヨーロッパ全域からエチオピア、リビア、エジプト、インド、そしてメソポタミアまで含まれる。
 この大災害でエチオピア人の肌は黒くなり、リビアは砂漠と化し、ナイルの七つの河口は涸れて砂に埋まり、ユーフラテスやガンジスさえも燃えてしまったという。天地と海は灼熱の炎で焼かれ、ガイアは沈みこみ、世界はまさに原初の混沌に戻らんとしたが、ユピテルが立ち上がり雷電でフェートンを撃墜し、馬車を破壊。フェートンは流星のように長く尾を引き、空中を落ちていったという。こうして世界の滅亡は免れた。父アポロンは息子の死を深く悲しみ、大地を照らすのも忘れてしまった。
「哀れな父親は、悲しみにやつれて、顔を隠し、まる一日のあいだ日が出なかったといわれているが、真偽のほどは定かではない。」大火の後、太陽の運行に異変があったとの伝承の重要性は、サルではない読者諸君に重ねて強調する必要はないであろう。
 プラトンはティマイオスの中で、フェートンの大火は地を巡っていた天体がずれ、地上に接近したことが原因であると書き記している。フェートン神話の正体は旧約聖書にあるモーセの出エジプトの時代に出現したという巨大彗星の記憶とその大災害の伝承であり、おそらくギリシャの別の伝承であるゼウスのテューポーン(ティフォン)退治と同じ根から生じた神話であろう。プリニウスはかつてテューポーン(ティフォン)の名を冠する彗星が現れ、エジプトやエチオピアで見られたと書き残しているが、前記のオウィディウスの記録ともリンクする。またインドのヴェーダには、主神インドラが巨大な竜ヴリトラと戦ったとあり、インドラの投げた雷電がガンジスの河口を撃ったとも書き記されている。当時の人々は天空に尾を引く巨大彗星を天翔ける竜だと信じ、テューポーンやヴリトラ、レビヤタンなどの怪物を創りあげたのだろう(ティフォン彗星はコイルのようにねじれた彗星として記録されているが、レビヤタンの意味も“螺旋状にまかれたもの”である)。一方、ギリシャ神話では、伝説的人物オーギュゴス王の時代にとてつもない大洪水が起こったとあり、また彼の治世に金星が軌道から外れたという伝承が存在することは決して無視できないだろう。フェートンの大火がオーギュゴス洪水と同時期に起こったと信じられているいることからも、フェートンの正体が地を巡っていた天体“金星”であり、その天体が“ティフォン彗星”となり、モーセの時代に大災害を引き起こしたと考えられるからだ。



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Last Modified Date 03/04/05

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